仏法伝える人の覚悟

2009年11月23日(月)  体重68.2kg  体脂肪18.9%



     親鸞聖人5



 「何を言うか、蓮位房。

  一人でも求める人あらば、命かけて、伝えねばならぬが仏法。

  我々仏法者のつとめではないか」





親鸞聖人は、こう喝破されるや、まさに決死のご布教に出られるのです。

兵衛門たちが説法を願い出た柿岡村へは、弁円のいる板敷山を通る以外に道はない。

かねてより信者を取られた恨みから、山頂で呪殺の祈祷をしていた弁円。


 「これぞ孔雀明王のご利益」


とばかりに、武装した弟子を引き連れ、聖人一行を待ち伏せる。


しかし、聖人はそこへ決然として踏みこまれる。


たとえ、弓矢をつがえ、刀を振りかざした山伏たちが襲って来ても、なお仏法を説く重さには代えられぬと、西仏、蓮位を従え、日野左衛門のみを案内人とし、鬱蒼とした漁師道を進んでゆかれた。



弁空
 「おいっ! 稲田を出た、という知らせはとっくに来ているぞ。 なぜ来んのだ!」




弁海
 「まさか柿岡行きをやめたのではあるまいな!」



弁長が柿岡村から帰ってくる。



弁長
 「親鸞の奴、とっくに柿岡へ行っておるぞ」




弁海
 「なにーっ! そんな馬鹿な!!」




弁空
 「どこを、あいつ、どう行ったんだ」



弁空たち、さかんに悔しがる。



弁空
 「よし、柿岡の帰りだ。 今度こそ、ぬかるでないぞ!」



板敷山、東の山麓。 山道を囲んでこのような会話が聞こえてくる。

仏祖のご加護か、弁円の聖人殺害の陰謀は、ことごとく失敗に終わったのである。



弁円
 「親鸞め! まさか魔力でも、秘めているのか。

     イヤッ、堕落僧に ・・・ あるはずがない!

     おのれ、親鸞! 今に、今に・・・」



護摩を焚く炎が燃え上がり、弁円の怒りの形相がすさまじいほどに照らし出される。

やがて弁円は、己の恨みと憎しみに追い詰められ、ついに忍耐を突き破る事件が起こった。

片腕とも可愛がっていた弟子の弁長が、信者十五、六人を引き連れ、親鸞聖人の許へ走ってしまったのである。



弁円
 「それは、まことか!

     おのれ! 親鸞!! もう、許せん。

     どけ、弁海、おまえらはここにいろ。 俺一人で十分だ。 成敗してくれる!」



     弁円


刀や弓矢を持って羅刹の如く駈けつける弁円。

それを見て、息せき切って飛んでくる蓮位房に、草庵はただならぬ雰囲気に包まれる。


しかし、親鸞聖人はただお一人、静かに、



親鸞聖人
 「弁円殿が来られたか。 一度お会いしたいと思っていたのだが」




蓮位房
 「何を申されます、お師匠さま。 弁円は、剣をかざしておりまする。

      どうか、裏から、安全な所へ」



さらに、五、六人の同行も集まってくる。



親鸞聖人
 「だがのォ、せっかく親鸞に会いたいと参られておるのじゃ。

        会わせてもらおう」



と立ち上がられるのです。


弁円の殺意を知られぬはずはなかった。

誰よりも聖人は、鬼と化した弁円の心を知っておられた。

境内では、弁円が憤怒の叫びを上げながら、草花を剣でメッタ切りにしている。

青ざめ、言葉を尽くして止める同行に、しかし聖人は諭される。



親鸞聖人
 「皆の者。 私の身を案じてくれるのは有り難いが、

      極悪最下の親鸞を、極善無上の幸せに救いたもうた、

      広大な阿弥陀如来のご恩を念うと、じっとしてはおれぬのだ。

      殺すも殺されるも、業縁なれば、さらに逃るべきことではない。

      いずれの世か、仏縁ともなれば、有り難い。

      決して案じたもうては下さるな。

      さあ、弁円殿がお待ちじゃ」



     親鸞聖人6



皆が決死に見守る中、親鸞聖人は一連の数珠を持たれ、まるで懐かしい人でも迎えるように出てゆかれる。



  極悪最下の者と見抜いて救って下された弥陀の本願を、

  また弁円にも伝えずにはおれなかったのです。





11.23夕食


【11/23(月)夕食】
・黒豆雑穀ごはん
・味噌汁(豆腐、わかめ)
・サラダ(トマト、レタス)
・ナスの香味炒め
・シイタケの甘辛
・豚キムチ
・納豆
・いかわさ


ボジョレーヌーボーPart2


ボジョレーヌーボー 第2弾!

また買っちゃった♪



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死は怖い? それとも、怖くない?

2009年11月22日(日)  体重67.2kg  体脂肪19.5%


昨日、いや今朝(11/22)、ガンダム4Gさん からコメントを頂きました。
とても、真剣で、丁寧なコメントです。
いつも、ありがとうございます。

コメント欄で返事を書こうとしましたが、私の文章が長すぎてるのか、コメント欄に掲載できませんでしたので、こちら本文で書かせていただきますね。

ガンダム4Gさんからのコメント ← こちらをクリック。


★★★
ガンダム4Gさんへ

コメントありがとうございます。

「死は決して怖くない!」 と私も何度か自分に言い聞かせようとしたことがあります。


「死後なんて無いから、大丈夫」

「死んだら天国だから、大丈夫」

「死んだら神様が助けてくれるから、大丈夫」

「死んだら仏様が菩薩を引き連れて迎えに来て下さるから大丈夫」

「死んでもまたあの世で家族や友達と出会えるから大丈夫」

「死んでも決して苦しくないから大丈夫」

「死んだらまた生まれ変わるだけだから大丈夫」

「本師本仏の阿弥陀様だけは絶対に助けて下さるから大丈夫」

「念仏さえ称えていれば、死ねば極楽に行けるから大丈夫」


などなど。

だから、 「死なんて怖くないんだよ」 と、言い聞かせてみました。


でも、どれだけ自分に言い聞かせてみても、信じ込ませようとしても、私は安心できませんでした。



 死んだらどうなるのか、本当のところ、わからないからです。



なぜ死が怖いのか?

それは、


死んだらどうなるかわからない。

死後どうなっているかハッキリしない。

未来どうなるか分からないから、不安なんです。



どれだけ頭をこねくりまわして考えても、わからない。

どれだけ教養を身につけても、知識を身につけても、わからない。

どれだけ死は怖くないと言い聞かせても、安心できない。

どれだけ死を考えないようにしても、心底安心できない。


これが、すべての人の、本心、本音ではないでしょうか。


「自分の死」を考えれば考えるほど、わからない、不安です。
でも、今考えている死は、本当の「自分の死」ではなく、想像の死でしかないと思います。
実際に「自分の死」に直面したら、どうなるのか。。。
今考えているようななまやさしいものではないだろうな、と思います。



> また、あなたが寿命を迎えて、死んで行く時、
> 怖いよう・・・って、泣き叫ぶおつもりですか?

> そりゃ、人間だれでも、死ぬのは嫌ですよ。
> まったく怖くないか?といえばウソになりますよ。

> でもね、子供じゃあるまいし・・・
> そんな不細工なことできますか!



やっぱり、本音は、死にたくない、怖いんですよね。
本当は、死が怖い。泣き叫びたいくらい不安。

でも、死が怖いと泣き叫ぶことは、かっこわるい、不細工。
そんな無様な姿、はずかしい姿、かっこわるい姿は、人に見せられない。
ということなのですね。

そのお気持ち、よ〜く、わかります。
私も、プライド高いし、かっこつけマンだし、名誉欲のかたまりですから。



> 僕は、何度も死にかけていますから
> その時、どう感じるかも解かっています。(苦笑)
> あなたも死んでみたら解かりますが
> 決して、怖くはないんですよ。


ちなみに、私も、何度か、死にかけたことがあります。
でも、死とリアルに直面しているのは、ガンダム4Gさん、あなただけではありません。

すべての人は、死とリアルに直面しています。
今晩かもしれない。明日かもしれない。
まさか今日死ぬとは思っていない人が、次々と死んでいく。
それが真実です。

本音は、死が怖い、死んだらどうなるかわからないから不安。
その死への恐怖を抑えようとして、不安をなくそうとして、

大丈夫、死は決して怖くない! 大丈夫。

と、自分自身に言い聞かせて、安心させようとしていませんか。
そのように受け取れます。
冒頭に書いたように、私も、昔、そのようにしてみましたから、わかる気がします。


でも、そのようなハッキリしない不安定な心、たよりない心、フラフラな心は、
本当の死に直面したとき、木端微塵にもろくも崩れ去ります。


仏教では、死んだらどうなるかわからない心を、

 「後生暗い心」 とか 「無明の闇」

といいます。

その「後生暗い心」「無明の闇」を破り、死んでよし!生きてよし! の無碍の一道に出なければ、本当の安心も満足もありません。

阿弥陀仏の本願のことを、他力本願と言います。
他力とは、阿弥陀仏のお力のことです。

阿弥陀仏の本願は、死んだら助ける、というお約束ではありません。

生きている現在只今、死んだらどうなるかわからない後生暗い心、無明の闇をぶち破って、無碍の一道、絶対の幸福に助ける、

という誓願、お約束です。

死んでからではない、生きている今、後生暗い心、死んだらどうなるかわからない心は、ハッキリとぶち破ることができます。

無明の闇が破れたのやら、破れていないのやら、わからないような、ぼんやりしたものではない。


 弥陀の本願まことだった! とハッキリとします。


そして、いつ死んでも悔いなし! という無碍の一道に雄飛できます。


「死んだら解りますよ」 では手遅れです。 遅いんですよ。




「大命将に終わらんとして、悔懼交々至る」
(釈尊)



「人身受け難し、今已に受く
 仏法聞き難し、今已に聞く
 この身今生に向って度せずんば、
 さらにいずれの生に向ってか、この身を度せん」
(釈尊)



「ひとたび地獄に入りて長苦を受くるとき、
 はじめて人中の善知識を憶う」
(善導大師)



「呼吸のあいだ、即ちこれ来生なり。
 一たび人身を失えば万劫にかえらず。
 この時に悟らざれば、仏、衆生を如何したまわん。
 願わくは深く無常を念じて、いたずらに後悔をのこすことなかれ」
(親鸞聖人)



「念仏誹謗の有情は、阿鼻地獄に堕在して、
 八万劫中大苦悩、ひまなくうくとぞ説きたまう」
(親鸞聖人)



「あわれあわれ存命のうちに、
 みなみな信心決定あれかしと朝夕思いはんべり」
(蓮如上人)



私のような者が何言っても、あてにはなりませんが、

仏教を説かれたお釈迦様が教えておられることです。

それを、善導大師、親鸞聖人、蓮如上人がそのまま教え伝えてくださっておられることです。


思い込みやゴマカシで安心するのではなく、生きている今、ハッキリと死の解決をさせていただくことこそが、人生の目的です。

それまでは、苦しくても、辛くても、何が何でも生きねばなりません。




他の方のご意見やお考えなどもお聞きしてみたいと思います。
よろしければ、コメント下さいませ。


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転法輪の因 讃仏乗の縁

2009年11月21日(土)  体重68.4kg  体脂肪19.7%



転法輪の因 讃仏乗の縁



親鸞聖人が独り、弁円に対される場面で、


   「謗るも謗られるも、恨むも恨まれるも、

      転法輪の因、讃仏乗の縁なのだ」


と仰有られた台詞があります。


また、『御文章』 四帖目四通にも同様の言葉が出てきます。

これは、真実の教えを説く因縁のことをいうのです。


法輪 (ほうりん) とは仏法のこと。

仏法を 輪宝 (りんぽう) に例えていう。

転輪聖王 (インドの伝説上の王) の車の輪宝が一切の障害物を破って進むが如く、仏法は衆生の一切の明かりのない心を破るので輪という。

説法のことを転法輪と言われますが、そのいわれは、ここにあります。

仏乗 (ぶつじょう) とは、苦しみの世界から仏の世界に渡す乗物のことで、

真実の仏法のことをいいます。

これを讃えるご縁を、讃仏乗の縁といい、説法のことをいいます。


仏法をお伝えするご縁について親鸞聖人は 『教行信証』 に、



「若し斯の書を見聞せん者は、信順を因と為し、疑謗を縁と為し、

 信楽を願力に彰し、妙果を安養に顕さん」

(教行信証後序)



と仰せです。



「仏縁深くひたすら求める人も、

 真実の世界のあることを疑い謗る人も、

 それを縁として一刻も早く無碍の一道に出て頂きたい」



という、大悲やるせない親鸞聖人のみ心が伝わってくるお言葉です。

この説法は、八百年の古も今も変わることなく、人々の胸に伝わっています。




ボジョレーヌーボー


  今年のボジョレーヌーボーは、とってもおいしい♪


という話をあちこちのブログで拝見しましたので、これは飲んでみなければ!

というわけで、本日、たまたま立ち寄ったとあるスーパーを探してみると、1本だけポツンと置いてありました。

 買って、買って〜♪

と誘うボジョレーちゃん。 その誘いのまま買っちゃいました。

さっそく飲んでみましたところ、うん、たしかに、スッキリしてておいしい。
赤ワインらしい渋みが少なく、スッキリ透明感のある味わいです。
確かに、今年のボジョレーヌーボーはおいしい!!

ついつい、一気にボトル一本飲みほしちゃいました。。。



で、どうなったかといいますと、・・・。  (><)




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弁円の帰依

2009年11月20日(金)  体重68.2kg  体脂肪18.9%



親鸞聖人アニメ第四部のクライマックス 「弁円済度」 は、最も感動を呼ぶ場面ですが、

これは、覚如上人 が書かれた 『御伝鈔』 が根拠となっています。


まずは、原文をそのまま見てみましょう。




 聖人常陸国にして、専修念仏の義を弘め給うに、おおよそ疑謗の輩は少なく、信順の族は多し。

 しかるに一人の僧 (弁円) ありて、動もすれば仏法に怨をなしつつ、結句害心をさしはさんで、聖人を時々うかがいたてまつる。

 聖人、板敷山という深山をつねに往返し給いけるに、彼の山にして度度相待つといえども、さらに其の節をとげず、つらつらことの参差を案ずるに、すこぶる奇特のおもいあり。

 よって、聖人に謁せんと思う心つきて禅室に行きて尋ね申すに、聖人左右なく出会いたまいけり。

 すなわち、尊顔に向いたてまつるに、害心たちまちに消滅して、あまつさえ後悔の涙禁じがたし。

 ややしばらくありて、ありのままに、日来の宿鬱を述すといえども、聖人またおどろける色なし。

 たちどころに弓箭をきり、刀杖をすて、頭巾をとり、柿衣を更めて、仏教に帰しつつ終に素懐をとげき。

 不思議なりしことなり。

 すなわち明法房これなり。 聖人これをつけ給いき。

(御伝鈔)





親鸞聖人を不倶戴天の敵と付け狙う弁円は、動向を窺い、聖人が通われる山路に、弓をつがえて待ち伏せしていたが、お姿を捉え得なかった。

アニメでは、山道に詳しい日野左衛門が案内したことになっています。

そうしたことがあったのでしょう。


つめかけた弁円


業を煮やした弁円は、瞋恚の形相ものすごく、白昼堂々、単身、太刀や弓を引っ提げ、稲田の草庵に駆け込んだ。



  「聖人左右なく出会いたまいけり」



とあるように、何のためらいもなく聖人は、弁円の剣の前に立たれる。

手には数珠一連のみの大胆さであった。


親鸞聖人と弁円


予期せぬ聖人の尊顔に、弁円は我が目を疑う。

眼に映っている親鸞聖人は、今まで怨敵と憎み続けた聖人ではない。

穏やかな聖人の瞳を見つめるうちに、弁円の害心は、春の淡雪のように跡形もなく消えていった。



憤怒の眼には、いつしか懺悔の涙が零れている。



弁円は、聖人の温顔に接するや、ただならぬ聖人の尊体に感動し、剣を投げ捨て、頭巾をはずし、大地にひれ伏した。



弁円
 「お許し下され。 親鸞殿。 

     稲田の繁栄をねたみ、己の衰退を、ただ御身のせいだと憎み、

     お命を狙っていたこの弁円。

     恐ろしい、思えば、恐ろしい、羅刹であった・・・・・・。

     どうか、どうか、今までの大罪、お許し下されーっ!」



と日頃の邪心を打ちあけて懺悔した。



親鸞聖人
 「立場を変えれば、この親鸞が殺しにゆくのだ」




親鸞聖人は、驚かれる様子もなく、底知れぬ慈愛で諭された。

一視同仁の慈悲なくして言えることではありません。


この親鸞が弁円殿の立場なら、自分が相手を殺しにゆくであろう。


殺すも殺されるも、怨むも怨まれるも、共に仏法を弘める因縁になるのだと、

相手を憐れむ偉大な信念に、弁円は 明法房 と生まれ変わったのです。



泣き崩れる弁円





本日の夕食は、近くのフードコートに行って来ました。

JJSGは、プラナカンのベジタブルカレー。

JJSG妻は、同じくプラナカンのチキンカレー。

とっても辛いですが、これがうまいんですわ♪


  二人合わせて、S$9.5! (約600円)



外食したほうが、圧倒的に安いな。。。 (><) v(^^)



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護摩を否定された釈尊

2009年11月19日(木)  体重67.6kg  体脂肪19.1%


修験道といえば、加持祈祷を連想し、その呪術的儀式のゆえに、どこか秘密めいた神秘的力があるように考えがちではないでしょうか。

また、よく修験者には超能力があり、しばしば超常現象を引き起こすとされ、実際、それを公言してはばからない者も存在するようです。



  しかし、これらはすべて、まやかしであることは、
  疑う余地もありません。




護摩とは、火をもって供養する意味で、釈尊の説かれた仏教ではありません。

それどころか、この種のもの一切を淫祠邪教 (いんし じゃきょう) として排されました。


しかし、密教は、釈尊が嫌悪なされた護摩を取り入れた。

日本では、この護摩を焚いて残った灰が万病に効くとして、高く売りつける者まで出現した。

「護摩の灰」 「ゴマ化す」 の語源は、ここから出たといわれます。

護摩は、インド古来の土着宗教であるバラモン教の系譜を引いています。


バラモン教徒は、呪術的な祭儀を行い、その祭儀は、ホーマと呼ばれる火祭りです。

ホーマは、中国では護摩と音表され、生け贄の儀式であり、動物だけでなく、乳製品や穀物も火の中に投げこむ。

動物の肉や脂肪や血であれ、穀物であれ、供物は火中から煙に乗って天上の神に届くと考えていた。

さらに、火を燃やし崇拝することで、身が浄められ、苦から解脱できるとさえ想起した。


ですが、釈尊は、このホーマ (護摩) を否定され、

「火で穢れがなくなるなら、朝から晩まで火を燃やし続ける鍛冶屋が一番穢れが少なく、解脱しているはずであろう。 それなのに、
カースト制では最下層に位置付けられているのはなぜか」

と、痛烈に批判しておられます。



親鸞聖人が、『和讃』 に、


   かなしきかなや道俗の

   良時吉日えらばしめ

   天神地祇をあがめつつ

   卜占祭祠つとめとす


と悲嘆なされているように、


真実の仏法は、病気治しやご利益の祈祷などとは次元が異なり、

後生の一大事を解決して無碍の一道に導くものであることを、

開顕せねばなりません。







11.19夕食

【11/19(木)夕食】
・黒豆雑穀ごはん
・納豆
・モッツァレラチーズサラダ
・もやしのピリ辛豚しゃぶ鍋
・厚揚げ

 う、う、うまし!


 やっぱり寒い日は鍋ですなぁ〜♪

 シンガポールも、最近、なぜか、若干寒い。 (半袖、短パンだけど。。。笑)



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プロフィール

JJSG

Author:JJSG
男 身長173cm
血液型 O型 (単純王)
1972年7月29日生
福岡県出身
愛知県一宮市育ち
岐阜市、尾西市、八開村を経て、
現在は、シンガポール在住

スポーツ万能 (ホント!?)
特に、野球、バドミントン
カラオケ大好き♪ 演歌もOK

父の実家は、鹿児島県。
情熱の薩摩真宗門徒。
(東本願寺)

母の実家は、福岡県。
ひたむきな真宗門徒。
(西本願寺)

そして私も、・・・。
仏法、親鸞聖人のみ教えを聞き求めて18年
真実に燃える 熱き親鸞学徒!

禁煙ミッション完遂♪
(2009年1月4日〜)

最近、健康にハマってます♪
半日断食ミッション、実践継続中
(2009年7月〜)

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