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死の縁 無量
2010/07/11 10:432010年7月11日(日) 体重70.4kg 体脂肪20.2%
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軍事パレードか???
=== 今日の一日一訓 ===
にこやかな笑顔と明るいあいさつが、世の中を楽しくする
なにが社会奉仕といっても、にこやかな笑顔と明るいあいさつほど、
世の中を楽しくするものはない。
笑顔とあいさつを出し惜しむ者ほどの、ドケチはないといってよかろう。
ちょっと目もとの筋肉を動かし、わずか一言、二言を話すだけで、
人に幸福を与えることができるのに、それすらもケチるからである。

★★★
疑問を抱いて、親鸞聖人の御屋敷を訪れた良作・ハルの夫婦に、親鸞聖人は、やさしく諭された。
「もしもよ、ハルさん、死に様で極楽往生が決まるとすれば、
死ぬまで助からぬということになりますよ。
死の縁無量ですからなぁ。。。
火に焼かれて死ぬ者もあるでしょう?
水に溺れて死ぬ人もいるでしょう?
病で死ぬ者、雷に打たれて死ぬ人。
いろいろあるでしょう?
これみな、その人の過去のたねまきの違いによって決まるのじゃで、
逃れることはできないことなのですよ」
今日の世相で言えば、飛行機が墜落して死ぬ人もあれば、拳銃で撃たれて死ぬ人もある。
善良な市民が大規模な空爆やテロの巻添えになっているが、
そのように死なねばならない行為を、犠牲者は過去にしていたのです。
覚如上人は、 『執持鈔』 に、 次のように書き残された。
「一切衆生のありさま、過去の業因まちまちなり、また死の縁無量なり、
病におかされて死する者もあり、
剣にあたりて死する者もあり、
水に溺れて死する者もあり、
火に焼かれて死する者もあり、
乃至寝死する者もあり、
酒狂して死するたぐいあり。
これみな先世の業因なり、更にのがるべきにあらず」
弥陀の本願に救い摂られ、死ねば浄土往生の身になっていても、
肉体を持っている限りは、ガンなどの病気にかかることもあるでしょう。
不慮の事故に遭うかもしれない。
そうなれば、苦痛をともなって死んでゆく。
反対に、信心獲得していなくても、安らかそうに死ぬ人もあるし、
医学的に安楽死させることもできる。
臨終にならないと分からぬ救いでは、死ぬまで安心できないではありませんか。
臨終にも阿弥陀如来の本願に救い摂られなかったならば、後生は一大事。
問題は、臨終の相ではなく、
平生に後生の一大事が解決できているかどうか、です。
親鸞聖人のみ教えの一枚看板は、 「平生業成」 (へいぜい ごうじょう) と言われます。
「平生、生きている間に、人生の大事業が完成する」
という意味です。
「平生」 ですから、現在この世で救われる。
ごはんがおいしく食べられる、元気な今です。
「人生の大事業」 とは、人生の究極の目的です。
日本で言えば、松下幸之助や本田宗一郎らの功績も大事業でしたが、
名を成し、財を得るためにこの世に生れてきたのではありません。
札束のベッドで寝ていても、死んだら困るではありませんか。
「人間に生れてよかったー!
仏法が聞けてよかったー!!
自殺しようと思ったこともあったが、死ななくて本当によかった。
この身に救われるために、人間界に生を受けたのか・・・・・・。
今、ハッキリ知らされたー!」
というときがある。
人生の目的を果たしたときです。

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