本当の善とは?
2012.03.24
2012年3月24日(土) 72.2kg 19.8%


=== 今日の一日一訓 ===
いつまでも ないぞこの耳 この命
あすといわずに 聞けよお六字
毎日普通に生活していると、
永遠に死なぬような錯覚に陥ります。
しかし、今日がこの世の終わりかもしれません。
“いつまでも聞けないぞ。
明日といわず、今、南無阿弥陀仏の六字を聞き抜いて、
無上の宝を弥陀より賜りなされよ”
と勧められています。
『正信偈』 親鸞聖人のみ教えを学んでいます。
まことの善とはどのようなことをいわれるのでしょうか。
仏典に、お釈迦さまのエピソードが教えられています。
お釈迦さまとハトとワシ
お聞きしましょう。
よろしければ下の 続きを読む をクリックして、続きを読んで下さいませ。
★★★

★★★
修行中のお釈迦さまのもとへ手負いのハトが飛んできた。
「私はいま、ワシの襲撃を受けています。
どうぞ、お助けください」
懇願し、震えるハトを、お釈迦さまは懐へかくまわれる。
やがて、飢えたワシが現れて釈迦に尋ねた。
「ここへ、ハトが来ませんでしたか」
「ハトなら私の懐にいる」
ホッとした表情のワシは、
「ヤレヤレ、これで生き延びられる。
どうぞハトを渡していただきたい。
餓死寸前の私が見つけたハトなのです。
あれを逃しては死ぬほかないのです」
ワシを生かすには、ハトを死なさねばならず、
ハトを助ければ、ワシが助からぬ。
進退窮まった釈迦は、一大決心をなさる。
「ワシよ、汝の飢えはハトでなければ救えないのか」
「そんなことはありません。
同等の肉片ならば、私は死なずに済みます」
「ならばどうじゃ。
ハトと同分量の肉を与えるからハトを助けてはくれないか」
納得したワシにお釈迦さまは、
自らの片方の腿の肉をそいで、
ハトの目方と合わせてみられたが、まだまだ軽い。
もう一方の肉をそいで計ってみられても、まだ足りぬ。
そこで身体のあちこちの肉をそいで、ワシに与えられた。
ようやくワシは飢えを満たして喜び、
ハトも死を免れて喜んだ。
釈迦も、ともに生命を全うしたのを見て喜ばれたという。
ワシに慈悲心を教えるのも尊い。
ハトに諦観を説かねばならぬこともあるでしょう。
しかしお釈迦さまは、最も困難で、苦しい道を進まれた。
最高無上の道だからです。
★★★





=== 今日の一日一訓 ===
いつまでも ないぞこの耳 この命
あすといわずに 聞けよお六字
毎日普通に生活していると、
永遠に死なぬような錯覚に陥ります。
しかし、今日がこの世の終わりかもしれません。
“いつまでも聞けないぞ。
明日といわず、今、南無阿弥陀仏の六字を聞き抜いて、
無上の宝を弥陀より賜りなされよ”
と勧められています。
『正信偈』 親鸞聖人のみ教えを学んでいます。
まことの善とはどのようなことをいわれるのでしょうか。
仏典に、お釈迦さまのエピソードが教えられています。
お釈迦さまとハトとワシ
お聞きしましょう。
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★★★



★★★
修行中のお釈迦さまのもとへ手負いのハトが飛んできた。
「私はいま、ワシの襲撃を受けています。
どうぞ、お助けください」
懇願し、震えるハトを、お釈迦さまは懐へかくまわれる。
やがて、飢えたワシが現れて釈迦に尋ねた。
「ここへ、ハトが来ませんでしたか」
「ハトなら私の懐にいる」
ホッとした表情のワシは、
「ヤレヤレ、これで生き延びられる。
どうぞハトを渡していただきたい。
餓死寸前の私が見つけたハトなのです。
あれを逃しては死ぬほかないのです」
ワシを生かすには、ハトを死なさねばならず、
ハトを助ければ、ワシが助からぬ。
進退窮まった釈迦は、一大決心をなさる。
「ワシよ、汝の飢えはハトでなければ救えないのか」
「そんなことはありません。
同等の肉片ならば、私は死なずに済みます」
「ならばどうじゃ。
ハトと同分量の肉を与えるからハトを助けてはくれないか」
納得したワシにお釈迦さまは、
自らの片方の腿の肉をそいで、
ハトの目方と合わせてみられたが、まだまだ軽い。
もう一方の肉をそいで計ってみられても、まだ足りぬ。
そこで身体のあちこちの肉をそいで、ワシに与えられた。
ようやくワシは飢えを満たして喜び、
ハトも死を免れて喜んだ。
釈迦も、ともに生命を全うしたのを見て喜ばれたという。
ワシに慈悲心を教えるのも尊い。
ハトに諦観を説かねばならぬこともあるでしょう。
しかしお釈迦さまは、最も困難で、苦しい道を進まれた。
最高無上の道だからです。
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