なぜ先祖を大切にするの?
2012.05.28
2012年6月10日(火) 71.6kg 21.4%

=== 今日の一日一訓 ===
自業自得
「業」 とは、カルマという昔のインドの言葉を
漢字で表したもの。
日本語では、「行為」 「行い」 という意味。
ですから、「自業自得」 は、
自分の行いの結果を自分で得る、という意味。
自分の行いの結果は、すべて自分自身に返ってくる。
「あなたの幸せ、不幸を決めているのは、
あなたの行いなのだよ」
とお釈迦さまは教えられています。
『正信偈』 親鸞聖人のみ教えを学んでいます。
祖先を崇拝し、墓参りをする心は、
仏教を知らない人にも根強くあります。
「先祖は尊び大切にしなければ」
と、彼岸やお盆には大勢の人が墓に手を合わせますが、
先祖がどんな人かも知らず、何となく頭を垂れている人もあるようです。
なぜ、先祖を尊び、
大切にしなければならないのでしょう?
よろしければ下の 続きを読む をクリックして、続きを読んで下さいませ。
★★★

★★★
父方、母方合わせて4人の祖父母くらいまでなら、
顔も名前も知っている人が多いでしょう。
しかし、三代前の8人、四代前の16人となると、
ほとんど分からないのが現実でしょう。
二十七代 さかのぼると、先祖の総数は 1億3千万人、
日本の人口に匹敵します。
三十三代 ではさらに、世界人口 70億 を上回る。
これだけ多くの中には、どんな人がいることか。。。
現在の地球上70億の人々の姿がそのまま先祖の実態
だと思っていいのではないでしょうか。
とすれば、いい人もあったでしょうが、
何代もさかのぼれば、いろんな先祖の中には、
殺人、強盗、放火、強姦など、凶悪犯もいたことでしょう。
それらの人すべてを尊敬することは、できるでしょうか?
今日も、近所のいざこざから多くの人の命を奪う戦争まで、
目を背け、耳を塞ぎたくなるニュースが、
テレビ・新聞・インターネットで報道されています。
通り魔や銃の乱射など、無差別殺人も珍しくありません。
そんな悪人も善人も、欲、怒り、愚痴一杯。
煩悩具足 (煩悩100%) の人間であることは変わりありません。
敬うべき相手かどうか、よく吟味しなければならないでしょう。
しかし一方で、何十代と続く先祖の一人でもいなければ、
私はこの世に生を受けることはできなかった。
仏縁に恵まれることもできなかった。
今、私が仏法を聞き、幸せに生かされているのは、
先祖がいたからこそです。
この点において先祖には大きなご恩があります。
その恩にどう報いたら、本当の供養になるのでしょう?
続きはまた次回。
★★★


=== 今日の一日一訓 ===
自業自得
「業」 とは、カルマという昔のインドの言葉を
漢字で表したもの。
日本語では、「行為」 「行い」 という意味。
ですから、「自業自得」 は、
自分の行いの結果を自分で得る、という意味。
自分の行いの結果は、すべて自分自身に返ってくる。
「あなたの幸せ、不幸を決めているのは、
あなたの行いなのだよ」
とお釈迦さまは教えられています。
『正信偈』 親鸞聖人のみ教えを学んでいます。
祖先を崇拝し、墓参りをする心は、
仏教を知らない人にも根強くあります。
「先祖は尊び大切にしなければ」
と、彼岸やお盆には大勢の人が墓に手を合わせますが、
先祖がどんな人かも知らず、何となく頭を垂れている人もあるようです。
なぜ、先祖を尊び、
大切にしなければならないのでしょう?
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父方、母方合わせて4人の祖父母くらいまでなら、
顔も名前も知っている人が多いでしょう。
しかし、三代前の8人、四代前の16人となると、
ほとんど分からないのが現実でしょう。
二十七代 さかのぼると、先祖の総数は 1億3千万人、
日本の人口に匹敵します。
三十三代 ではさらに、世界人口 70億 を上回る。
これだけ多くの中には、どんな人がいることか。。。
現在の地球上70億の人々の姿がそのまま先祖の実態
だと思っていいのではないでしょうか。
とすれば、いい人もあったでしょうが、
何代もさかのぼれば、いろんな先祖の中には、
殺人、強盗、放火、強姦など、凶悪犯もいたことでしょう。
それらの人すべてを尊敬することは、できるでしょうか?
今日も、近所のいざこざから多くの人の命を奪う戦争まで、
目を背け、耳を塞ぎたくなるニュースが、
テレビ・新聞・インターネットで報道されています。
通り魔や銃の乱射など、無差別殺人も珍しくありません。
そんな悪人も善人も、欲、怒り、愚痴一杯。
煩悩具足 (煩悩100%) の人間であることは変わりありません。
敬うべき相手かどうか、よく吟味しなければならないでしょう。
しかし一方で、何十代と続く先祖の一人でもいなければ、
私はこの世に生を受けることはできなかった。
仏縁に恵まれることもできなかった。
今、私が仏法を聞き、幸せに生かされているのは、
先祖がいたからこそです。
この点において先祖には大きなご恩があります。
その恩にどう報いたら、本当の供養になるのでしょう?
続きはまた次回。
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