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親鸞聖人 と 絶対の幸福

2012年8月7日(火)    70.8kg  19.7% 


Yu-06Aug2012-2



=== 今日の一日一訓 ===


 会者定離 ありとはかねて 聞きしかど
   昨日今日とは 思わざりけり


 




『正信偈』 親鸞聖人のみ教えを学んでいます。


親鸞聖人は、人生の目的は

 絶対の幸福


だと教えられますが、絶対の幸福とはどんな幸福か。
親鸞聖人にお聞きしましょう。


よろしければ下の 続きを読む をクリックして、続きを読んで下さいませ。

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★★★


仏教では、幸福といわれるものを二つに分けます。

相対の幸福
 といわるべきものと、
絶対の幸福
 といわれるものです。

相対の幸福
 というのは、一時的な喜びや満足をいい、
続かない、やがては必ず、悲しみや苦しみに転化する幸福をいうのです。

たとえば、好きな人と結婚できた喜びとか、
望んでいたマイホームが新築できた満足とか、
日々、私たちが求めている生き甲斐や喜びといわれるものです。

このような喜びや満足は、
決して永続するものではありません。
やがては必ず滅び去る幸福です。

どんなに素晴らしい人と結婚しても、
相手がいつ病に倒れるやら、死ぬやら分かりません。

変心して不仲になり、破鏡の憂き目にあい、
骨肉相食む争いをしなければならないかも分かりません。

世間に、夫を亡くして苦しんでいる人、
妻を失って悲嘆している人、
子供に裏切られて激怒している人など、
あふれているのを見ても明らかなことです。

また、一生、汗と膏で築きあげた家屋が、
一夜のうちに灰になり悲泣している人もあり、
昨日まで一家和楽の家庭も、今日は交通事故や災害で、
地獄の悲惨を味わっている人もあります。

これらの幸福は、今日あって明日なき無常の幸福です。
常に壊れはしないかという不安がつきまとっていますから、
本質的にいっても、真の幸福とはいえないのです。

たとえ大禍なく続いたとしても、
死に直面すれば、総くずれになること必定です。

しかも私たちは、死の運命から逃れることはできませんから、
このような幸福で、心からの安心や満足が得られるはずがないのです。

死の前に立たされた時、金や名誉や地位や財産が、
なんの喜びになり満足を与えてくれるでしょう。
たとえ求まったとしても、真の満足も安心も得られない、
これらの幸福を求めて、今日もあくせく苦しみ悶えているのです。

親鸞聖人は、これは、
真実の幸福、絶対の幸福があるということも、
その絶対の幸福は阿弥陀仏の本願によって、
誰もがなれることも知らないからである

と教えられています。

そして、この絶対の幸福こそ人生の目的であると、
九十年の生涯、弥陀の救い一つを教えていかれたのが
親鸞聖人でした。

では 絶対の幸福 とは何でしょう。

親鸞聖人は、絶対の幸福を 「無碍の一道」
とおっしゃっています。
そして、その世界を、こう教えておられます。



念仏者は無碍の一道なり。そのいわれ如何とならば、信心の行者には、天神・地祇も敬伏し、魔界・外道も障碍することなし。罪悪も業報を感ずることあたわず、諸善も及ぶことなきゆえに、無碍の一道なり。

( 『歎異抄』 第七章 )




 “弥陀に救われ念仏する者は、一切が障りにならぬ幸福者である。
  なぜならば、弥陀より信心を賜った者には、
  天地の神々も敬って頭を下げ、悪魔や外道の輩も
  妨げることができなくなるからだ。
  犯したどんな大罪も苦とはならず、
  いかに優れた善行の結果も及ばないから、
  絶対の幸福者である。”





大悲の願船に乗じて、光明の広海に浮かびぬれば、至徳の風静かに、衆禍の波転ず。

( 『教行信証』 行巻 )




 “阿弥陀仏の造られた、大悲の願船に乗って見る人生は、
  千波万波きらめく明るい広い海ではないか。
  順風に帆をあげる航海のように、
  なんと生きるとは素晴らしいことなのか。”




これらのお言葉は、絶対の幸福を喝破なされたものです。


  超世の悲願ききしより
  われらは生死の凡夫かは
  有漏の穢身はかわらねど
  心は浄土に遊ぶなり
  (帖外和讃)



  “弥陀の本願に救われてからは、
   もう迷い人ではないのである。
   欲や怒り、ねたみそねみの煩悩は少しも変わらないけれども、
   心は極楽で遊んでいるようだ。”



とおっしゃっているのも、
絶対の幸福になった一大宣言です。

そんな絶対の幸福なんてあるものかという人は、
まだ阿弥陀仏の救いの素晴らしさを知らないだけなのだ、
と親鸞聖人は教えられています。

ぜひ、知って下さい。聞いて下さい。


親鸞聖人の花びら

親鸞聖人の教えが、すごくわかりやすく書かれています。
ぜひ、あなたに読んで欲しい本です。


★★★

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テーマ : よく生きる
ジャンル : ライフ

Comment

私の仮説・・・

いつもコメントありがとうございます。またJJSGさんのブログも毎回期待して読んでます。絶対の幸福というのが具体的に何なのか毎回毎回いつ明らかになるのか期待して読んでますが、結局、まだ、説明してくれませんが、私は親鸞も答えを見つけられていないんだろうなと思います。

私の仮説をちょっと述べさせてもらいたいのですが、死後にあの世があって、あの世は魂以外何もない場所なんじゃないかと思うのです。魂たちはあの世では永遠に死ぬことはなく、食事する必要もなく、もちろん病気したり痛みを感じたりすることもない・・・魂同士で会話したり戯れたりすることもできますが、基本的に暇な所で、何をするのも飽きてしまう・・・この世では、生きていくために働かjかなくてはならず、仲間と協力し合う必要があり、目標が達成されると充実感がるし、失敗すれば今度はうまくやろうと向上心を持って努力する。人生の時間は限らてており、だからこそかけがえのない貴重な時間として大事に思えるし、感動する・・・苦しみも喜びを際立たせるものとして大事なものと思う。
だけど、あの世では、死ぬことはなく、何もしなくても永遠に生き続けられ、突然不幸が襲ってくるとか苦痛を与えられるとかは全くない、ただ、一つだけ苦悩があって、それは、何をしても倦み疲れてしまう、無意味に感じてしまう虚無感・・・

多くの魂はそんな何も変わらないあの世での生活に飽きて、この世に出ていろんな経験をしてみたいと希望して、この世に生れ出てくる。希望者は多く、何百年も順番待ちの状態。
この世に生れ出てきた時、残念ながら、この世の人間の脳には、あの世での記憶を受け継ぐ能力はなく、自分の意志でこの世に生れ出たことを思い出せずに、この世での生活を送る。ある者は、この世での人生ゲームを楽しみ、ある者は、この世での苦痛のひどさに辟易とする。

親鸞は、この世に生れ出てこれたことがあの世での退屈とは比べ物にならないほど素晴らしいと説いている。何百年も順番待ちしてようやくこの世に生れ出てきたわけであり、どんな苦痛があろうと感謝してこの世での生活を充実させよう、そうすれば、死んでまたあの世に戻った後もこの世での良い思い出を胸に過ごしていけると説いている。

とにかく、あの世は、何もない世界で、永遠に何も変わらない、退屈な世界で、何か新しいこと未知なこと偉大なことが起きることを期待ですることはできず、死ぬこともできず、虚無感で満たされたところなのかもしれない・・・

Re: 私の仮説・・・

みゅうさん

コメントありがとうございます♪

期待してください。
絶対に期待を裏切りません。

仏教は、お釈迦様の45年間の教えで、
七千余巻もの膨大なお経ですが、
説かれた目的はただ一つです。

そのたった一つのことを説かれるために、
45年間、七千余巻の経典となったのです。

だから、簡単ではありません。
時間はかかると思いますが、
一つひとつ理解していくことが大切です。

絶対の幸福 (無碍の一道) について、
もっと知りたい、早く知りたい、
ということであれば、一万年堂出版の次の本を読んでみて下さい。

「なぜ生きる」
「歎異抄をひらく」
「親鸞聖人の花びら」(桜の巻)
「親鸞聖人の花びら」(藤の巻)


すべて高森顕徹先生の書かれた本です。

「なぜ生きる」 はすでに読まれた、
とのことですが、みゅうさんのコメントを読んでいると、
ほんとうに読まれたのかなぁ、と感じます。
手元にあれば、何度か、じっくり読んでみて下さい。

そこに、絶対の幸福、無碍の一道について、
「二種深信」 (機の深信・法の深信) がハッキリ書かれています。

でも、どれだけ聞いても、頭で考えても、
ハッキリは分からないと思います。

どうすればハッキリするのか。
絶対の幸福になったとき、ハッキリします。

現在ただ今、絶対の幸福になれます。
人に確認したり、尋ねたりする必要もありません。
ぼんやりしたものではありません。
自分自身がハッキリします。

そこまで、仏教を聞き抜かねばなりません。

親鸞聖人の主著『教行信証』を読んだことありますか?
ぼんやりしたあいまいな表現は一つもありません。
断言ばかりです。

みゅうさんの仮説が真実かどうか、証明するためにも、
ぜひ、親鸞聖人の教えについて、徹底的に追求してみて下さい。

最後にひとつ。

> 親鸞は、この世に生れ出てこれたことがあの世での退屈とは比べ物にならないほど素晴らしいと説いている。何百年も順番待ちしてようやくこの世に生れ出てきたわけであり、どんな苦痛があろうと感謝してこの世での生活を充実させよう、そうすれば、死んでまたあの世に戻った後もこの世での良い思い出を胸に過ごしていけると説いている。


親鸞聖人がどこにそんなことを説いているのか。。。
ぜひ、教えて下さい。
どのお言葉をどう解釈したらそうなるのか。。。
全くのデタラメであり、完全に間違っています。

デタラメな解説などに惑わされることなく、
親鸞聖人・蓮如上人のお言葉を通して、
本当の親鸞聖人の教えを知って欲しいとおもいます。

No title

そうですね。べつに親鸞はそんなことを言ってないかもしれませんが、私にとってはあまり、う~~ん、どうでもいいことなんです・・・すみません・・・

とにかく、絶対の幸福というのが具体的に何なのか、誰もわかってないんだと思います。。。

具体的にというのを勘違いした例え話の多い聖書や、相手をはぐらかす禅問答や、専門用語の多い哲学、これらはすべて、言葉遊びのように思えます・・・

具体的にというのは、あくまでも現状に即したものであるはずで、例えば、上記の私の仮説なんかは、今生きているうちに、死んだ後のことを考えて、存在することに何の意味があるか考えるべきなんじゃないかなと思って述べさせたもらったわけです。。。

(もちろん、仮説ですから、全然違う可能性はありますが、このような仮説にどこか矛盾するところは特に見当たらないように考えられます)

まぁ、でも、それぞれが自分の好きな考え方をしていいと思っていますし、考えることも、いろんな経験や他の人の意見聞いたりして、変わっていくでしょうね。。。私なんかも2~3日で別の考えをするようになたtりしますから・・・

とりとめないコメントになってしまいました。

ブログに仕事に家庭に頑張ってください!

Re: No title

みゅうさん

再びコメントありがとうございます。

絶対の幸福が具体的に何なのか、
それ一つ教えられたのが仏教です。

それ一つ、どう表現すれば伝えられるのか、
どうすれば聞いてもらえるか、
言葉を尽し、例えを駆使されて、
なんとかなんとか聞いてもらいたい、
知ってもらいたい、
と命懸けで布教されたのが親鸞聖人です。

90歳でお亡くなりになるまで、
繰り返し繰り返し、加筆修正を加えられたのが、
親鸞聖人の主著 『教行信証』 です。

それを、どうでもいい、とは。。。

絶対の幸福を真剣に知りたいと思うなら、
まず、真剣に親鸞聖人の教えを学んで下さい。

私ももっと努力します。
Secre

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いつも応援有難うございます

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プロフィール

JJSG

Author: JJSG
男 173cm 血 O型
1972年7月29日生
(42歳)

福岡県出身
愛知県一宮市で育つ
シンガポール居住を経て、
(2007.9~2013.3)
現在は、日本在住
(名古屋近郊)
職業: 平凡なEngineer

スポーツ大好き♪
(野球、バドミントン)
カラオケ大好き♪
(演歌最高!)

父は、鹿児島県出身。
母は、福岡県出身。
共に九州、浄土真宗門徒。

私も、仏教、親鸞聖人の教えを、少しずつ学んでいます。

禁煙 2009年1月4日~
半日断食 2009年7月~
(すっかりサボり気味。。。)
体重:
MAX 81.4kg 理想 63kg

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