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親鸞聖人と三世因果

2012年8月11日(土)    69.0kg  22.0% 


Yu-10Aug2012-1



=== 今日の一日一訓 ===


 最大の敵は心であり、
 最強の味方も心である。


 




『正信偈』 親鸞聖人のみ教えを学んでいます。



仏教は 三世因果の教え といわれます。
どんなことでしょうか?
親鸞聖人の強調された 現在の救い とどんな関係があるのか。

親鸞聖人にお聞きしましょう。


よろしければ下の 続きを読む をクリックして、続きを読んで下さいませ。

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★★★


仏教の根本教理は、
実に 「三世因果」 の教えにあります。

これがよく理解されなければ、
仏教は絶対に分かりません。

まず 「三世」 といいますのは、
過去世、現在世、未来世のことです。

「過去世」
 といいますのは、
私たちが生まれる以前のすべての過去をいいます。

「現在世」
 とは、
この世に生を受けてから死ぬまでのことです。

「未来世」
 とは、
永遠の死後をいいます。


私たち一人一人に、
この 悠久の過去 と 永遠の未来 があると
仏教では教えられます。

過去・現在・未来の三世を貫く生命がある

と説かれています。


「過去世や未来世なんか、あるか」
という人もあるでしょう。

しかし、私たちが生まれたということは、
まぎれもない 「結果」 です。
こんな結果が、どうして生じたのでしょう。

私は、なぜ十三億人の中国ではなく、
一億二千万の日本に生まれたのか。

江戸時代に生まれた人、明治に生まれた人、
平成に生まれる人もいます。

大正、昭和に生まれ無理やり戦争にかり出され、
虫ケラのように殺された若者もたくさんあります。

平和な世に生を受けていたら、
そんな青年たちの人生は大きく変わっていたでしょう。

地球上、六十九億の人はあっても、
生まれた時も所も、容姿も才能も、
同じ人は一人もいません。

生涯を左右するこれらのことが、
一体、何によって決まったでしょうか。

これについて釈尊は、こう説かれています。



汝ら、過去の因を知らんと欲すれば、現在の果を見よ。未来の果を知らんと欲すれば、現在の因を見よ。




  過去に、どんな種まきしてきたかを知りたければ、
  現在の結果を見なさい。
  未来、どんな結果が現れるかを知りたければ、
  現在の種まきを見なさい、分かるであろう。


これは、現在を見れば過去も未来も、みな分かる。
悠久の過去と永遠の未来を包含しているのが
現在であるからだと、教えられたものです。


三世因果


この釈尊の教えによれば、
一人一人の生まれた結果が異なるのは、
六十九億の各人各様に生まれる前の、
各人各様、異なった原因があったからに違いありません。

「善因善果、悪因悪果、自因自果」
の厳粛な因果の道理に従って、
私たちの過去世の行為が
現在世の私たちの境界を生み出したのです。

当然、「過去世」 があるように、
私たちには 「未来世」 があります。

もし 「未来世」 がないとすれば、
因果の道理に例外を認めねばならなくなるでしょう。


たとえば、ある人が二人殺して死刑になったとします。
二人殺した罪 (因) が一回の死刑 (果) で償われるとするならば、
十人殺した者は五回死刑にならなければなりません。

そんなことはできませんから、もし未来世がなければ、
二人殺したら、あとは何人殺そうが
死刑という結果は同じということになります。

原因が変われば結果が変わるのが、因果の道理です。

日給一万円の仕事をすれば、
百日働けば百万円もらわなければ
誰も承知しないでしょう。

それが、一日働いても一万円、
百日働いても一万円だと言われては
働く人がないのと同じです。

原因が変わっても結果は同じだという主張は、
三世十方を貫く 「因果の道理」 を知らない妄言です。

現在世の行為の結果が、
たとえ現在世で現れなくても、
必ず 「未来世」 に現れますから、
「三世因果」 は三世十方を貫く真理である
と教えられているのです。

この仏教の 「三世因果」 の道理が正しく理解されますと、
いかに 「現在」 が大切かが知らされます。


先に述べましたように 「過去世」 とは、
とりつめれば去年であり、昨日であり、
前の一時間であり、吐いた息が過去になります。

「現在世」 も、とりつめれば今年であり、
今日であり、今の一時間であり、
今の一息が現在の当体となります。

「未来世」 も、これも叩けば来年となり、
明日となり、一時間先となり、吸う息が未来となります。

ですから、仏教の三世とは、
吸う息、吐く息の中にあると教えられているのです。


念々のうちに、三世がおさまっているのです。

ゆえに、ただ今の一念を徹見すれば、
曠劫の間、流転してきた自己も明らかになるし、
未来の一大事も知らされることになります。


「自身は、現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫より已来常に没し常に流転して、出離の縁有る事無し」 と深信す。




  現在、私は極悪最下の者である。
  果てしない過去から苦しみつづけ、
  未来、永遠に救われることのない者と
  ハッキリ知ることができた。


とおっしゃっている善導大師のお言葉でも明らかでしょう。

だから、現在の救いがなくして未来の救いはないのですから、

 現生不退
 平生業成
 不体失往生


と親鸞聖人が、 現在の救い を強調されたのは
当然でありましょう。


親鸞聖人の花びら


★★★

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テーマ : よく生きる
ジャンル : ライフ

Comment

No title

何事にも原因があり、原因にも原因があり、その原因にも原因があり、、、結局、いつが最初なんでしょうか?何が最初なんでしょうか?
私たちの魂はいつ誕生したのか?

仏教を勉強してもいまだに私にはわかりません・・・

No title

コメントありがとうございます。

いつが最初で、何が最初か、魂がいつ誕生したのか。
それが判ったとしたら、スッキリして、
みゅうさんの苦しみは解決しますか?

たとえわかったとしても、
「無」 にはなれません。
苦しみの根本解決にはなりません。


「いつが最初で」
「何が最初で」
「魂がいつ誕生したのか」

どれだけ仏教を勉強しても、
それは、もうわかることはないでしょう。

それを究明解明することが、
仏教の目的ではないのですから。

No title

でも、因果の道理を考えると、過去世の過去世、そのまた過去世、、、と自分の犯した罪をどんどんさかのぼって改めていかないとまずいのではないでしょうか?

No title


自分の行為を反省し、改めることはもちろん大切なことです。

今生 (現在世) のことなら、それも可能でしょう。
去年のことを反省するとか。
昨日のことを反省するとか。
今まで生きてきた中で、自分の行いを反省し、
今からそれを改め、努力するとか。

しかし、過去世、過去世、過去世、・・・
過去世のことは、わかりません。
未来世のことも、わかりません。

お釈迦さまは、過去も未来も、
現在の一念におさまっているから、
現在ただ今の自己の姿を徹底的に見なさい、
と教えられています。

> ゆえに、ただ今の一念を徹見すれば、
> 曠劫の間、流転してきた自己も明らかになるし、
> 未来の一大事も知らされることになります。


この記事をもう一度、ゆっくり読んでみて下さい。

大切なのは、「現在」 です。
そして、大切なのは、「心」 です。

No title

>> ゆえに、ただ今の一念を徹見すれば、
>> 曠劫の間、流転してきた自己も明らかになるし、
>> 未来の一大事も知らされることになります。
>
>この記事をもう一度、ゆっくり読んでみて下さい。

読んでますが、理由や根拠が書いてないんです・・・
あの世もこの世も含めてこの世界の一番最初は一体どんなものなのか、それを知りたいんです。。。たぶん、お釈迦さまも知らないんだろうなあと思います、、、、問うなと言ってますし。
もし知っているならお釈迦様に教えてほしいけど、自分で今世をよく考えて悟るしかないんでしょうね・・・

すみません、いつも質問ばかりで(愚痴っぽい反論に感じられるでしょうけど、そういうつもりはないです・・・)

No title

みゅうさん

理由や根拠は簡潔に書いてあります。
くわしく書きたいですし、くわしく直接説明できればいいのですが、
なにせ時間に限りがあり、私が怠惰なもので。。。
すみません。

最初はどうだったんだ?
始まりはどうだったんだ?
と 「始まり」 を知りたいことはよくわかります。

しかしながら、みゅうさんもすでにご存知の通り、
どこまで追求していっても 「始まり」 にはたどりつきません。

「何でも始まりがあるに違いない」 と私たちが思いこんでいるだけで、実は始まりが無ければならないわけではないのです。
始まりのない始まりから始まっているんです。

結果には必ず原因がある。
それがわかれば、理解できると思います。

「これが始まりだ!」
「じゃあ、その始まりは?」
その始まりは? その始まりは? ・・・
どこまでいっても 「始まり」 には原因があって、
その始まりにもまた原因があって、・・・。

なんなく伝わるでしょうか。

お釈迦様は知らないのではなく、
お答えにならないだけです。
仏様の智慧は、時空を超えて、
過去・現在・未来をお見通しです。

もし答えを聞けるとしたら、みゅうさん、
どこまで答えを聞いたら、気が済みますか?

みゅうさんの問いは
 「それはなぜ?」 「それはなぜ?」 ・・・・
と永遠に続くでしょう。

お釈迦さまの答えは、
「それは・・・」 「それは・・・」 ・・・
と永遠に続きます。

なぜなら、すべての結果には必ず原因があるのですから。
どんな始まり(結果)にもその始まりの原因があるのですから。

ただただ永遠に問答が続くだけです。
なんの解決にもなりません。きりがありません。
なんとなくわかりますか?

それに聞いても、きっと理解できないと思いますよ。
それを理解する智慧が私たちにないのですから。
ただ、疑うだけでしょう。

いかがでしょう。
お釈迦様のお言葉をよく聞いて、
仏法を聞き求め、法鏡に照らしだされた
現在の自己を徹底的に見ていってください。

お釈迦さまは教えておられます。
現在の自己が明らかになれば、
過去も未来も明らかになる、と。

無明の闇は、現在の自己がわからない心です。
その無明の闇が破られたら、現在の自己がハッキリするだけでなく、
過去も未来もすべて明らかになります。

「なぜ?」
と聞きたくなるでしょう。

ぜひ、聞き求めて下さい。
ハッキリするまで、共に聞き求めましょう。

No title

聴き求めますけど、、、

例えば、1を2でどんどん割っていったらどうなるかを
先生が生徒に教えるとき、

1わる2は0.5
それをまた2であると0.25
それをまた2であると0.125
それをまた2であると0.0625
それをまた2であると0.03125
・・・・
とえんえんと教える先生はいないとおもいます。

普通の先生なら、最終的にゼロになることを説明すると思います。
そういうふうな説明がないのでしょうか?



人間にお釈迦様の教えを理解する智慧がないというのは、、、、
キリスト教でも同じ弁解をしてます・・・理不尽なことが世の中には多いけど神様の御計画は人智を超えるんだと・・・
まぁ、それが真実なんでしょうけど・・・

No title

みゅうさん

どう教えるか、相手によりますよね。

ちなみに、割り算していっても、最終的にゼロにはなりません。
ゼロにどんどん近づくだけ。
大宇宙が1だとしたら、地球は限りなくゼロに近いでしょう。
でも、ゼロじゃない。
私などさらにゼロに近いでしょう。
でも、ゼロじゃない。
絶対にゼロにはならない。

ちょっと戯れただけです。失礼しました。
意図は理解しています。


人間にお釈迦様の教えを理解する智慧がない
と言ったのではありません。勘違いなさらないでください。
お釈迦様は、誰にでも理解できるように教えられています。

弥陀の救いは、十方衆生が相手ですから。
理解できない話をしても意味がありません。

華厳経のように、仏の覚りをそのまま説かれた
難解な内容もありますが、
ちゃんと目的・意図があってのことです。


私が言いたいのは、みゅうさんが聞きたいことに対して、
仮にお釈迦様がありのまま答えられたとしたら。
ということです。

その場合、ありのまま説明されても、
きっと難解で理解できないだろう、ということです。
もちろん、理解できるかもしれませんが。

相手に応じて、わかりやすくくだいて説くこともできるでしょう。
仏教は、応病与薬、対機説法。
相手に応じて、説き方を選んで、説かれています。

みゅうさんと同様のことを聞かれた方が当時あったのでしょう。
でも、お釈迦さまはあえてお答えになっていません。
分からないからではありません。
答えても、意味がないからでしょう。

そういうことです。
では、みゅうさんの言う、普通の先生のような教え方はないものか?

すでに答えておられます。

「すべての結果には必ず原因がある。
 原因のない結果は絶対にない。」

よって、始まりにはその始まり(原因)がある。
そのまた始まりがある・・・。

普通の先生の教え方をするなら、

 「始まりのない始まりから始まっている」

ということになりましょう。

これでわからなければ、どう説明しましょう。。。
私にはわかりません。

No title

禅問答も私は興味あるのですが、でも、あれは言葉遊びに過ぎないなあと少し失望してます・・・(私の勘違いで、本当はもっと奥深いんだろうなとも思っています)

 「始まりのない始まりから始まっている」

この場合の始まりという言葉、二つ出てきますが、この二つの言葉、全く同じ意味用法で使われているわけじゃないと推測します・・・
もう少し、正確な形容詞を一つ二つつければ、単純明白なことを言っているだけになると思うのですが、例えば私なりに翻訳すると

「これが始まりという世界の出発点はなく、そういう世界の発生が始まりなのだ」「結局、この世界に始まりはないんだ」というような感じになると思いました・・・

Re: No title

みゅうさん

コメント早3!!!(笑)

禅問答、私は大嫌いです。
あんなものは、本当にただの言葉遊びです。
私は全く興味ありません。

> 「これが始まりという世界の出発点はなく、そういう世界の発生が始まりなのだ」
> 「結局、この世界に始まりはないんだ」


そういうことですね。
さすが!

なんか、ブログ上でチャットしたみたい。。。
明日も仕事だ、がんばるぞ~。
では、寝ます。。。おやすみなさ~い。

JJSGより

No title

仏教を勉強していて、いろんな宗派があるので、大変です・・・

お仕事がんばってください!
何はともあれ、日々の労働・家庭生活が人間の基本だと私は思っています(牧師さんや僧侶の方も普通のサラリーマンをやりながら宗教活動をすればいいのにと私は思うのですが・・・)。

No title

みゅうさん

いろいろの宗派がありますが、
仏教は一つであり、お釈迦様が教えられたことは、
ただ一つです。

いろいろ確かめないと気が済まないのだろうと思いますが、
時間に限りがあります。
全部調べてたら、きりがありません。

ぜひまず、親鸞聖人の教えから
徹底的に取り組まれることをおすすめします。

浄土真宗の親鸞聖人も、
その師・法然上人も、
釈迦の一切経を何度も何度も読破された
ものすごい仏教学者であり、
他宗派にも精通された方々です。

浄土宗と浄土真宗と宗派が異なるので、
違った教えのように思うかもしれませんが、
それはその弟子たちの解釈で分かれただけです。

法然上人と親鸞聖人の教えは全く同じです。
寸分の狂いもありません。

まずその教え・弥陀の本願から追究してみて下さい。
Secre

ポチっと応援感謝♪

いつも応援有難うございます

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プロフィール

JJSG

Author: JJSG
男 173cm 血 O型
1972年7月29日生
(42歳)

福岡県出身
愛知県一宮市で育つ
シンガポール居住を経て、
(2007.9~2013.3)
現在は、日本在住
(名古屋近郊)
職業: 平凡なEngineer

スポーツ大好き♪
(野球、バドミントン)
カラオケ大好き♪
(演歌最高!)

父は、鹿児島県出身。
母は、福岡県出身。
共に九州、浄土真宗門徒。

私も、仏教、親鸞聖人の教えを、少しずつ学んでいます。

禁煙 2009年1月4日~
半日断食 2009年7月~
(すっかりサボり気味。。。)
体重:
MAX 81.4kg 理想 63kg

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