阿弥陀仏に救われた人
2012.10.02
2012年10月2日(火) 71.0kg 21.8%

=== 今日の一日一訓 ===
主婦の笑顔は家庭の光
『正信偈』 親鸞聖人のみ教えを学んでいます。
他力の信をえん人は
仏恩報ぜんためにとて
如来二種の廻向を
十方に等しくひろむべし
(正像末和讃)
「阿弥陀仏に救われた人は、
その広大な仏恩に報いるために、
賜った二つの宝を、
すべての人にお伝えしなければならない」
知らされたこの真実、なんとしても
一人でも多くの方にお伝えしたい。
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★★★

★★★
如来大悲の恩徳は
身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も
骨を砕きても謝すべし
(正像末和讃)
「阿弥陀如来の高恩と、
その本願を伝えたもうた恩師 (師主知識) の深恩は、
身を粉にしても、骨を砕きても済まないのだ」
親鸞聖人は、微塵の報謝もできない身を嘆かれています。
『唯信鈔文意』 などには、こう記されています。
「あまり文字の読めない田舎の人たちにも、
なんとか分かってもらいたいと、同じことを繰り返し、
重ねて書いたのである。
教養のある人が見れば、おかしく思うだろう。
あざける人もあろうが、どんな謗りも甘んじて受けよう。
ただひたすらに、誰にでも分かるように伝えたい一心で記したのである」
止むにやまれぬ正法宣布の熱い心情を述べていられます。
これが親鸞聖人の他力信心の躍動なのです。
それは蓮如上人も同じです。
まことに一人なりとも
信をとるべきならば身を捨てよ
(御一代記聞書)
「一人でもよい。
仏法を聞く人があれば、どんな事情も後回しにして、
命を捨てても伝えなければならぬ」
と、必死の布教を勧められています。
親鸞聖人や蓮如上人のように、
身命を賭して正法弘通に邁進せねばならないと思います。
★★★


=== 今日の一日一訓 ===
主婦の笑顔は家庭の光
『正信偈』 親鸞聖人のみ教えを学んでいます。
他力の信をえん人は
仏恩報ぜんためにとて
如来二種の廻向を
十方に等しくひろむべし
(正像末和讃)
「阿弥陀仏に救われた人は、
その広大な仏恩に報いるために、
賜った二つの宝を、
すべての人にお伝えしなければならない」
知らされたこの真実、なんとしても
一人でも多くの方にお伝えしたい。
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★★★



★★★
如来大悲の恩徳は
身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も
骨を砕きても謝すべし
(正像末和讃)
「阿弥陀如来の高恩と、
その本願を伝えたもうた恩師 (師主知識) の深恩は、
身を粉にしても、骨を砕きても済まないのだ」
親鸞聖人は、微塵の報謝もできない身を嘆かれています。
『唯信鈔文意』 などには、こう記されています。
田舎の人々の、文字の意も知らず、あさましき愚痴きわまりなき故に、やすく心得させんとて、同じことをたびたびとりかえしとりかえし書きつけたり。心あらん人は、おかしく思うべし。あざけりをなすべし。然れども、大方の謗りをかえりみず、一筋に、愚かなるものを心得やすからんとて記せるなり。
(唯信鈔文意)
「あまり文字の読めない田舎の人たちにも、
なんとか分かってもらいたいと、同じことを繰り返し、
重ねて書いたのである。
教養のある人が見れば、おかしく思うだろう。
あざける人もあろうが、どんな謗りも甘んじて受けよう。
ただひたすらに、誰にでも分かるように伝えたい一心で記したのである」
止むにやまれぬ正法宣布の熱い心情を述べていられます。
これが親鸞聖人の他力信心の躍動なのです。
それは蓮如上人も同じです。
まことに一人なりとも
信をとるべきならば身を捨てよ
(御一代記聞書)
「一人でもよい。
仏法を聞く人があれば、どんな事情も後回しにして、
命を捨てても伝えなければならぬ」
と、必死の布教を勧められています。
親鸞聖人や蓮如上人のように、
身命を賭して正法弘通に邁進せねばならないと思います。
★★★



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