本師本仏の阿弥陀仏
2014.03.30
2014年3月30日(日) 77.6kg 22.1%
癌ダムさんに教えてもらったグリーンジュースを試してみた。
・チンゲン菜
・小松菜
・オクラ
・セロリ
・オレンジ
水100mlくらい入れて、ミキサー。
ミキサー後、その量は800mlに。(多い。。。)
飲んでみたら、ま、まずい(><)
まずいけど、健康のためと思って、すべて飲み干しました。
氷入れて、冷たくすればよかったかなぁ。
毎日続けるのは無理っぽいです。
=== 今日の一日一訓 ===
「運が悪い」とあきらめないで
日々の行いで、あなたの運命は変えていける。
『正信偈』 親鸞聖人のみ教えを学んでいます。
この大宇宙には、地球のようなものが数え切れないほどあり、
お釈迦さまのように、仏のさとりを開かれた方が、
また数え切れないほどまします、とお釈迦さまは教えておられます。
三世十方の諸仏
と説かれています。
よろしければ下の 続きを読む をクリックして、続きを読んで下さいませ。
★★★
★★★
有名な 『阿弥陀経』 には、東西南北上下の六方 (大宇宙) に、
ガンジス川の砂の数ほどの諸仏 (恒河沙数諸仏) がましますと
説かれています。
それらの仏を、
「十方三世の諸仏」
といい、お釈迦さまをはじめ、大宇宙の仏は皆、
阿弥陀仏を
「本師本仏」
と敬い、褒めたたえている、と説かれています。
また 『阿弥陀経』 の中で、お釈迦さまは、
智慧第一のお弟子・舎利弗尊者の名前を呼んでおられますが、
舎利弗は、一度も返事をしていません。
お釈迦さまに呼ばれて返事をしない非礼は、
ありえないことですが、阿弥陀仏のあまりの凄さを聞いた舎利弗は、
驚いて声が出なかったのでしょう。
『阿弥陀経』 は 無問自説の経 といわれ、
お釈迦さまは、問わず語りに説法なされています。
師匠の仏のご威徳を、釈迦は喜びのあまり、
自ら説かずにおれなかったのでしょう。
全ての仏が阿弥陀仏をそれほどたたえ尊敬するのは、
十方諸仏ができないことを、阿弥陀仏一仏だけができるからです。
世間でも自分が必死に努力しても到底できないことを、
成し遂げる人がいれば、素晴らしいと褒めずにおれないでしょう。
ある大関が、横綱との対戦を控えた前日のインタビューで、
「どうですか、明日は勝てそうですか?」
と尋ねられると、大関は、
「勝敗は頭にありません。
横綱は境界が違うのです。
胸を借りるだけです」
と横綱をたたえていました。
裸の力士は皆同じように見えますが、
素人目には分からない格段の差があるようです。
では、あらゆる仏の中で、阿弥陀仏だけができることとは何でしょう。
親鸞聖人は、ご和讃にこのように教えられています。
“阿弥陀仏には、すべての人の苦悩の元凶である無明の闇を破り、
絶対の幸福に救い摂る働き (智慧光) があるから、
大宇宙の全ての仏やそのお弟子方が 「智慧光仏」 と、
阿弥陀仏を絶賛されているのである。”
「無明の闇」 とは、仏教の言葉で、
私たちの苦しみ悩みの根元をいいます。
私たちは、幸せになりたいと願って日々過ごしていますが、
幸せをつかんだと思う先から、色あせたり取りこぼしたり、
喜びは夢幻のごとく消えていきます。
「この坂を越えたなら幸せが待っている
そんな言葉を信じて、越えた七坂四十路坂」
(唄・都はるみ)
そんな日々の繰り返しで、幾歳月がたったことでしょう。
欲や怒り、愚痴に翻弄され、思うようにならぬ日々を過ごしています。
悪を悪とも分からず罪を重ね、
苦しみ悩み続けているのが私たちだと、
仏教では教えられています。
世の中を眺めても、あれが欲しい、これが足りぬ、
思うようにならない。
有っても苦、無くても苦。 (有無同然)
この人のせいでこんな事になった、
アイツの顔が、しぐさが、声が気に入らない
と苦悩に満ち満ちて、声が気に入らないと苦悩に満ち満ちて、
平穏な時は少なく、この世から血の池地獄に浮きつ沈みつ
している人も多いのではないでしょうか。
「ただ見れば 何の苦もなき 水鳥の
足にひまなき わが思いかな」
(水戸光圀)
平穏無事に見える人でも、人知れず神経を擦り減らし、
不安に揺れ、悲しみ、嘆いて悶々と生きている。
存在そのものが苦しみです。
仏は慈悲の塊。
私たちを、とても放ってはおけない、
何とか幸せに救ってやりたいと思われたのですが、
十方の諸仏には私たちを救う力はなく、
断腸の思いであきらめられたのです。
ところが阿弥陀仏だけは、全ての仏が見捨てたなら、
なお捨ててはおけぬ、と立ち上がられました。
阿弥陀仏は、私たちの苦悩の根元・無明の闇を突き止め、
ぶち破り、全ての人を絶対崩れぬ幸福に、必ず救うと約束されています。
この阿弥陀仏のお力を 「光明」 といい、
「智慧」 ともいいます。
阿弥陀仏の光明 (智慧) は無量で、
十方の諸仏が見捨てた私たちを救うお力だから、
一切の諸仏や三乗衆 (諸仏の弟子) は、
阿弥陀仏を 「智慧光仏」 といって褒めたたえられるのである、
と言われているのです。
諸教諸讃 多在弥陀
(諸教に讃ずる所、多く弥陀に在り)
“釈迦の一切経は、どこを読んでも阿弥陀仏のことばかりが
褒めたたえられている”
と中国天台の中興といわれる荊渓が言っています。
続きはまた次回。
★★★
癌ダムさんに教えてもらったグリーンジュースを試してみた。
・チンゲン菜
・小松菜
・オクラ
・セロリ
・オレンジ
水100mlくらい入れて、ミキサー。
ミキサー後、その量は800mlに。(多い。。。)
飲んでみたら、ま、まずい(><)
まずいけど、健康のためと思って、すべて飲み干しました。
氷入れて、冷たくすればよかったかなぁ。
毎日続けるのは無理っぽいです。
=== 今日の一日一訓 ===
「運が悪い」とあきらめないで
日々の行いで、あなたの運命は変えていける。
『正信偈』 親鸞聖人のみ教えを学んでいます。
この大宇宙には、地球のようなものが数え切れないほどあり、
お釈迦さまのように、仏のさとりを開かれた方が、
また数え切れないほどまします、とお釈迦さまは教えておられます。
三世十方の諸仏
と説かれています。
よろしければ下の 続きを読む をクリックして、続きを読んで下さいませ。
★★★
★★★
有名な 『阿弥陀経』 には、東西南北上下の六方 (大宇宙) に、
ガンジス川の砂の数ほどの諸仏 (恒河沙数諸仏) がましますと
説かれています。
それらの仏を、
「十方三世の諸仏」
といい、お釈迦さまをはじめ、大宇宙の仏は皆、
阿弥陀仏を
「本師本仏」
と敬い、褒めたたえている、と説かれています。
また 『阿弥陀経』 の中で、お釈迦さまは、
智慧第一のお弟子・舎利弗尊者の名前を呼んでおられますが、
舎利弗は、一度も返事をしていません。
お釈迦さまに呼ばれて返事をしない非礼は、
ありえないことですが、阿弥陀仏のあまりの凄さを聞いた舎利弗は、
驚いて声が出なかったのでしょう。
『阿弥陀経』 は 無問自説の経 といわれ、
お釈迦さまは、問わず語りに説法なされています。
師匠の仏のご威徳を、釈迦は喜びのあまり、
自ら説かずにおれなかったのでしょう。
全ての仏が阿弥陀仏をそれほどたたえ尊敬するのは、
十方諸仏ができないことを、阿弥陀仏一仏だけができるからです。
世間でも自分が必死に努力しても到底できないことを、
成し遂げる人がいれば、素晴らしいと褒めずにおれないでしょう。
ある大関が、横綱との対戦を控えた前日のインタビューで、
「どうですか、明日は勝てそうですか?」
と尋ねられると、大関は、
「勝敗は頭にありません。
横綱は境界が違うのです。
胸を借りるだけです」
と横綱をたたえていました。
裸の力士は皆同じように見えますが、
素人目には分からない格段の差があるようです。
では、あらゆる仏の中で、阿弥陀仏だけができることとは何でしょう。
親鸞聖人は、ご和讃にこのように教えられています。
無明の闇を破するゆえ
智慧光仏となづけたり
一切諸仏三乗衆
ともに嘆誉したまえり
(浄土和讃)
“阿弥陀仏には、すべての人の苦悩の元凶である無明の闇を破り、
絶対の幸福に救い摂る働き (智慧光) があるから、
大宇宙の全ての仏やそのお弟子方が 「智慧光仏」 と、
阿弥陀仏を絶賛されているのである。”
「無明の闇」 とは、仏教の言葉で、
私たちの苦しみ悩みの根元をいいます。
私たちは、幸せになりたいと願って日々過ごしていますが、
幸せをつかんだと思う先から、色あせたり取りこぼしたり、
喜びは夢幻のごとく消えていきます。
「この坂を越えたなら幸せが待っている
そんな言葉を信じて、越えた七坂四十路坂」
(唄・都はるみ)
そんな日々の繰り返しで、幾歳月がたったことでしょう。
欲や怒り、愚痴に翻弄され、思うようにならぬ日々を過ごしています。
悪を悪とも分からず罪を重ね、
苦しみ悩み続けているのが私たちだと、
仏教では教えられています。
世の中を眺めても、あれが欲しい、これが足りぬ、
思うようにならない。
有っても苦、無くても苦。 (有無同然)
この人のせいでこんな事になった、
アイツの顔が、しぐさが、声が気に入らない
と苦悩に満ち満ちて、声が気に入らないと苦悩に満ち満ちて、
平穏な時は少なく、この世から血の池地獄に浮きつ沈みつ
している人も多いのではないでしょうか。
「ただ見れば 何の苦もなき 水鳥の
足にひまなき わが思いかな」
(水戸光圀)
平穏無事に見える人でも、人知れず神経を擦り減らし、
不安に揺れ、悲しみ、嘆いて悶々と生きている。
存在そのものが苦しみです。
仏は慈悲の塊。
私たちを、とても放ってはおけない、
何とか幸せに救ってやりたいと思われたのですが、
十方の諸仏には私たちを救う力はなく、
断腸の思いであきらめられたのです。
ところが阿弥陀仏だけは、全ての仏が見捨てたなら、
なお捨ててはおけぬ、と立ち上がられました。
阿弥陀仏は、私たちの苦悩の根元・無明の闇を突き止め、
ぶち破り、全ての人を絶対崩れぬ幸福に、必ず救うと約束されています。
この阿弥陀仏のお力を 「光明」 といい、
「智慧」 ともいいます。
阿弥陀仏の光明 (智慧) は無量で、
十方の諸仏が見捨てた私たちを救うお力だから、
一切の諸仏や三乗衆 (諸仏の弟子) は、
阿弥陀仏を 「智慧光仏」 といって褒めたたえられるのである、
と言われているのです。
諸教諸讃 多在弥陀
(諸教に讃ずる所、多く弥陀に在り)
“釈迦の一切経は、どこを読んでも阿弥陀仏のことばかりが
褒めたたえられている”
と中国天台の中興といわれる荊渓が言っています。
続きはまた次回。
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