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「生きる目的」 と 「生きる手段」 のけじめ

2014年7月10日(木)    73.2 kg  19.8 % 

体脂肪が20%を切った! 久しぶりだなぁ。(笑)
最強クラス台風が本土に近づいております。
皆さま、油断なくご用心下さいませ。


=== 今日の一日一訓 ===


 努力の成果は、ある時パッと花開く

   最初は結果が出なくても、コツコツあせらずタネをまき続けよう。




親鸞聖人のみ教えを学んでいます。


「一念」
 について親鸞聖人から続けてお聞きしています。

摩訶不思議なこの一念を、親鸞聖人は
「生きる目的」 と 「生きる手段」 を峻別する、
分水嶺だと喝破されています。

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★★★

真・仮を知らざるによりて、
如来広大の恩徳を迷失す。
(『教行信証』)



「本当の人生の目的を知らないから、
 〝よくぞ人間に生まれたものぞ″ の生命の歓喜がないのである」


〝真″ とは 「人生の目的」 であり、
〝仮″ とは、生き甲斐や趣味、目標などの 「生きる手段」 のことだ。

「目的」 と 「手段」 のケジメのつかぬのを、「真仮を知らざる」 と言い、
生命の大歓喜のないのを 「如来広大の恩徳を迷失す」 と言われている。

「真」 と 「仮」 の区別は、無明の闇が 「死」 んで、
真仮を知る心の 「生」 まれる 「一念」 のときでなければ分からない。

たとえば、夢で火災にあい、必死に逃げる。
ビルの屋上に追いつめられて、もうだめ! と覚悟したとき、
汗びっしょりで目がさめる。
なあんだユメだったのかと知るのは夢さめたときである。

夢の中では、ユメがユメと分からない。
ましてや、さめた世界などしるよしもない。
夢さめたとき、夢と現実が同時に明らかになる。


〝夢″ を 〝夢″ と知るのは、夢さめたときであるように、
〝仮″ を 〝仮″ と知らされるのは、〝真″ が明らかに知らされたときである。

真と仮が明らかになるのは同時なのだ。

如来広大の恩徳に生かされ、生命の大歓喜を得た一念に、
〝人身受け難し、今すでに受く″ の 「人生の目的」 が知らされる。
同時に、生きがいや趣味、目標は、この 「目的」 を果たす 「手段」 であった、
とハッキリするのである。

臓器移植までして、なぜ生きるのか。
苦しくともなぜ自殺してはならぬのか。
人命は地球より重いといわれるのはなぜか。


数多い人生論が曖昧模糊で終わるのは、
生きる 「目的」 と 「手段」 が峻別できないだけである。

真仮の人生を一念で截つ 「弥陀の誓願」 は、
まさに 利剣 (りけん) というにふさわしい。

この一念で、
真 (なぜ生きる=人生の目的) と 仮 (どう生きる=生きる手段) を
判然と知らされた親鸞聖人は、如来大悲の恩徳に感泣しつつ、
かのたくましい生涯を貫かれたのである。

親鸞聖人 いざ、関東へ


親鸞聖人の実像は、つねに隠され、教えは大きく誤解されてきた。
右翼の評論家から左翼の思想家まで、宗派や党派を問わず称讃するが、
はたして正しく評価されてのことだろうか。

人々は、柔和でやさしい聖人像をイメージしているようだが
それは、聖人の全貌ではない。
聖人は、抗しがたい魅力を持っておられるけれども、その言動は、
あまりにも潔癖で妥協のないものだった。

肖像は、風雪に耐え抜いた風貌をあらわし、文字はカミソリで書いたように鋭い。
これらは聖人の気性を端的にあらわしていると思われる。
その激しさ、厳しさは、言動にもっとも顕著にあらわれているが、
世間には、ほとんど知らされてはいない。否、隠されているとさえ思われる。

親鸞聖人 著作の業


人生の目的を完成してからの親鸞聖人の生きざまをお聞きしましょう。
ですが、長くなったので、続きはまた次回。

★★★

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テーマ : ひとりごと
ジャンル : ライフ

Comment

No title

たとえば、夢で火災にあい、必死に逃げる。
ビルの屋上に追いつめられて、もうだめ! と覚悟したとき、
汗びっしょりで目がさめる。
なあんだユメだったのかと知るのは夢さめた

・・・と、思ったら、寝床の周りが火の海だった
という場合は「真」と「仮」は逆転するのでしょうか?

JJSGさん御自身の考えでお答えくださいね。

Re: No title

癌ダムさん

コメントありがとうございます。
癌ダムさんは、相変わらず面白いですね。

「夢さめたと思ったら・・・、寝床の周りが火の海だった」
実際にありうることでしょうね。恐ろしい。。。

「真」 と 「仮」 が逆転する? とはどういうことでしょう?
何がお聞きになりたいのか、質問の意図がわかりません。
わかるようにご説明下さいませ。

No title

では、お伺いします。
そちらで「事例」として挙げられた

たとえば、夢で火災にあい、必死に逃げる。
ビルの屋上に追いつめられて、もうだめ! と覚悟したとき、
汗びっしょりで目がさめる。
なあんだユメだったのかと知るのは夢さめた

という場合、何が「真」で、何が「仮」なのでしょうか?

JJSGさんが「たとえば」と書かれたわけですから
当然「真」と「仮」の説明なんでしょ?

まず、それをお答えください。
そしたら、質問の意味もわかるはずです。

Re: No title

癌ダムさん

再びコメントありがとうございます。
早くからコメントいただいていたのに、
遅くなってすみません。

何かと立て込んでおりまして、ブログ放置状態でした。(><)

さて。
先の癌ダムさんの質問
「・・・と、思ったら、寝床の周りが火の海だった
 という場合は「真」と「仮」は逆転するのでしょうか?」


質問の発端となる自分の記事も含めて、何度か読み返しましたが、
癌ダムさんの質問の意図が、やっぱりまだつかめていません。
おバカですみません。
ですので、それはひとまずおいといて。

次の質問に答えれば、先の質問の意味もわかる、ということなので。

> では、お伺いします。
> そちらで「事例」として挙げられた
>
> たとえば、夢で火災にあい、必死に逃げる。
> ビルの屋上に追いつめられて、もうだめ! と覚悟したとき、
> 汗びっしょりで目がさめる。
> なあんだユメだったのかと知るのは夢さめた
>
> という場合、何が「真」で、何が「仮」なのでしょうか?
>
> JJSGさんが「たとえば」と書かれたわけですから
> 当然「真」と「仮」の説明なんでしょ?
>

「真」 と 「仮」 を 「事例」 ということではなく、
真と仮の分水嶺である 「一念」 を、あえてたとえればこのような感じ、
と 「たとえば」(喩えば) と書いたのです。
「事例」 ではないことをまずご承知おき下さい。

この 真仮の水際 「一念」 については、親鸞聖人も、
「不可称・不可説・不可思議」 と仰っている通りで、
実際には、言うことも、説くことも、想像することも出来ません。
とはいえ、言葉でなければ伝えようがないので、
親鸞聖人もいろいろな角度から、いろいろな喩えで、教えて下さっています。

この真仮の水際は、言葉で言い表すことは出来ないけれど、
自分自身が知らされればハッキリする、ということです。

「スイカ」の味は食べた者は、どんな味かハッキリ体験できますが、
その味を説明せよ、と言われてもなかなか難しい、という感じでしょうか。

また長くなっちゃいそうですけど、続けて書きますね。

ということで、ユメの喩えの場合、 (事例でなう、比喩ですよ。)
何が 「真」 で 何が 「仮」 かといえば、
夢が 「仮」 で、 夢さめた現実が 「真」 ということです。
夢さめたとき、ユメがユメとハッキリする。
夢みている間は、ユメがユメとわからない。

〝夢″ を 〝夢″ と知るのは、夢さめたときであるように、
〝仮″ を 〝仮″ と知らされるのは、〝真″ が明らかに知らされたとき、
ということです。

あくまで 「喩え」 ですので、 100%完璧にマッチしません。
「喩え」は、あうところと、あわないところがあります。
真仮は一念で水際立ちますが、ユメは一念で水際たちません。
夢さめても、ユメか現実がハッキリわからないこともあるでしょう。

もしかして、先の癌ダムさんの質問は、そういうことだったのでしょうか。
それで、「真と仮が逆転するのでしょうか?」 との質問だったのでしょうか。
なんだか、癌ダムさんに誘導されたような気分です。(><)
さすが。。。

質問にお答えできているかどうかわかりませんが、
とりあえず、このくらいにしておきます。

癌ダムさんの質問の意図、よろしければ、教えて下さいね。
お手数おかけしますが、よろしくお願いいたします。

ありがとうございました。
JJSG

No title

お答え頂きありがとうございます。
それがないと、先に進めないものですから。

さて、元の文章ですが、文脈からして、誰が読んでも
ユメ=火事が「仮」で、平穏=現実が「真」という「たとえ」でしょうね。

で、僕の質問した、夢だと思ってホッとしたら廻りが火事だった
という場合は、火事が「真」で、平穏が「仮」だった訳ですから
この場合、「仮」と「真」は逆転する訳ですよね。

まぁ、この場合、JJSGさんが予防線をひいたように
たかが物のたとえですから、百歩譲るとして、要するに
夢から覚めないと、現実もまた理解できないように
「仮」がわかるのと「真」が解かるのは同時だ…という事ですよね。

同じく、文脈からして
「仮」…というのは「人生の手段」で
「真」…というのが「生きる目的」だという話だと思いますが
これであっているのでしょうか?

Re: No title

癌ダムさん

早々にお返事下さり、ありがとうございます♪
百歩譲っていただき、感謝いたします。

予防線をはったわけではないのですが、
お釈迦さまの説かれた仏教は、ほとんどが 「方便」(仮) です。
喩え話がたくさんあります。
私たちにわかるように喩えで、お釈迦さまは教えて下さっています。
それらの喩えは、あくまで喩えであって、それがそのままそのものにあてはまるわけではない、
ということです。

さてさて。
癌ダムさんのご理解の通りです。
「仮」がわかるのと「真」がわかるのは同時、
ということです。

そして、
「仮」 は、 趣味や生き甲斐、目標などの 「生きる手段」 で、
「真」 は、 「生きる目的」 で、
あっています。

ありがとうございました。
JJSG

No title

こんばんは。すぐコメント入れたつもりだったのですが
FC2がメンテ中だったためか?届いていなかったようですね。

・・・と言うわけで、半分忘れたけど(」苦笑)また書きます。

お返事ありがとうございました。
「私たちにわかるように教えて下さっています。」という事ですから
常識的な概念で、正しい理解だと思いますが

「仮」と「真」と言うのは、どう見ても
「真」が重要で、「仮」はさして重要ではない事のようですね。
合っておりますでしょうか?

となると「真」=「生きる目的」が重要で
「仮」=「生きる手段」は、しょせん手段だから、下位の概念だ
と言うことになるのでしょうか?

「手段」の方は、趣味や生き甲斐、目標などを具体的に示されていますが
「目的」の方は、書かれていないけど、おそらくは「仏の道」などでしょうね。

まぁ、細かいあげ足を取るなら
お坊さんが、生きる手段として駐車場経営しても問題はありませんが
JRの運転手さんなど、人の命を預かる皆さんが
生きる手段として、仕事してもらっちゃチョット困る…事などもありますが
それはともかく

「生きる手段」は所詮「手段」でしかなく
「生きる目的」こそが大事なんだ・・・という事で、よろしいでしょうか?

Re: No title

癌ダムさん

コメントありがとうございます。

> 「仮」と「真」と言うのは、どう見ても
> 「真」が重要で、「仮」はさして重要ではない事のようですね。
> 合っておりますでしょうか?
>

「真」が重要で、「仮」はさして重要ではない、ということではありません。
「仮」は目的果たすための手段ですから、「仮」も重要です。
手段の前にまず目的が大事ですが、目的を果たすために欠かせないのが手段です。
だから、どちらも大事ですが、目的なしに手段ばかりに力入れていては意味がありません。

どこに向かうか、「方向」(目的)を定めずに走り回っていたら、いつになっても目的地に到着しません。
どれだけ立派な車や飛行機、船、かっこいい走りをしても、目的地を知らずに走ったらどうなるか。
最後は力尽きて走り倒れあるのみです。飛行機なら墜落あるのみです。
「手段」の前に、まず「目的」が大事、というのはそういう意味です。

「目的」がハッキリしたら、それを達成するための「手段」が大事になります。
「目的」が大事だけど、「手段」は大事じゃない、といっていたら、どうして目的を果たせましょう。
「目的」を果たすために「手段」が大事です。
「目的」を果たすための「手段」ですから。

「目的」 と 「手段」 はそういう関係です。
「真」 と 「仮」 もそういう関係です。
説明が下手で申し訳ありませんが、伝われば幸いです。


> となると「真」=「生きる目的」が重要で
> 「仮」=「生きる手段」は、しょせん手段だから、下位の概念だ
> と言うことになるのでしょうか?
>

上に説明した通りです。
「仮」が下位の概念ということではありませんが、
「真」 のない 「仮」 では意味がない、ということです。
「仮」(手段) は 「真」(目的) より出たものです。
「仮」だけ独立してあるものではありません。

「従真垂化」 という仏教の言葉があって、
「仮」は「真」より垂れたものだ、ということ。

また、「従仮入真」 という仏教の言葉もあって、
「仮」より「真」に入る、ということです。
「仮」よりしか「真」に入れず、とも読みます。
「仮」なしには「真」には入れません。
「真」(目的)だけでは「真」(目的)も果たせない、ということです。
「真」さえあれば、「仮」は必要ない、というのは大きな間違いです。

ということで、「真」も「仮」も重要です。
まずは「真」(目的)が大事。そしてそれを果たすために「仮」(手段)が大事です。

> 「手段」の方は、趣味や生き甲斐、目標などを具体的に示されていますが
> 「目的」の方は、書かれていないけど、おそらくは「仏の道」などでしょうね。

「目的」はこれまでにも私のブログで何度も何度も書いてきてますが、
そんなものがあるとは、なかなか理解できないのだと思います。

「生きる目的」は、「本当の幸せ」になることです。
「本当の幸せ」 とは、絶対に崩れない変わらない幸せ、ということ。
それは、一念の「弥陀の救い」 です。

弥陀に救われた世界を 歎異抄では 「無碍の一道」 と書かれています。
「摂取不捨の利益」 とも書かれています。
弥陀に救われると、「往生一定」 の身になります。
いつ死んでも「極楽往生間違いなし」とハッキリ定まったことをいいます。

「正定聚」 (しょうじょうじゅ) ともいいます。
「まさしく仏になるに定まった人々」 ということです。
仏のさとりは、さとりの52位の中では一番上の52段目です。
これ以上さとりはないから、「無上覚」 ともいいます。

「正定聚」は、51段目です。「仏」のさとりより一段下です。
現在、弥勒菩薩が51段目にいます。
つまり、弥陀に救われると、
生きている現在ただ今、弥勒菩薩と同格(横並び)の身になる、ということです。

これがまず 「生きる目的」 です。

その目的を果たすために、この世の一切のことが「手段」となります。
お金や健康、政治、経済、科学、医学、芸術、スポーツなど、
すべての人間の営みは、この目的を果たすためにある、ということです。

過去ブログにも書いてきましたが、
少しずつでもわかっていただければ、
と思って今後もブログに書いていきたいと思います。


> 「生きる手段」は所詮「手段」でしかなく
> 「生きる目的」こそが大事なんだ・・・という事で、よろしいでしょうか?

上に書いた通りで、まず「生きる目的」が大事で、
そしてその目的果たすために 「生きる手段」 も大事、
ということです。

どちらも大事です。
ただし、「目的」なしで「手段」ばかり追っていては、
いつまでたっても「目的」は果たせない、ということです。

ちょっとでも伝われば、と思います。
ご質問いただき、ありがとうございました。
感謝いたします。
JJSG

No title

僕の質問の仕方が悪かったようですから
改めて聞き直しますね。

「真」が上位概念で
「仮」が下位概念ですよね。。
そのうえで、どちらも大事と言う事ですよね。

その理解でよろしいでしょうか?


Re: No title

癌ダムさん

> 「真」が上位概念で
> 「仮」が下位概念ですよね。。
> そのうえで、どちらも大事と言う事ですよね。
>
> その理解でよろしいでしょうか?

その理解でいいですね。
「真」がまずあって、そこから「仮」が出てくる。
「真」なくして「仮」はありえません。

ありがとうございました。
JJSG

No title

くだらない僕の質問にきちんとお答え頂き、本当にありがとうございます。
僕は、あなたの事を親しい友人だと思っておりますし
貴君もまた、最低なヤツとはおもいつつ、
まぁ悪友のような感覚で仕方なくお付き合い頂いてるようには存知ますが

また、肝の据わった聖職者と信じて
余命宣告された患者さんへのコメントをお願いした際の
「死ぬのが怖い」「死にたくない」などの往生際の悪さなども拝見して
そりゃ、仏にすがって生きるしかないか…などとも思いましたが
それはともかく…

「真」と「仮」は逆転するとどうなるのでしょうか?

最初の質問に戻りますが
一面の火の海が、目が覚めたら夢だった
…と思ったら、寝床が火の海だった

という場合「真」と「仮」は逆転するのでしょうか?
…と僕は聞いた訳ですが
なんだか誘導尋問のような気がする…と思いつつ
予防線を張りながら、お答え頂きましたよね(苦笑)

とはいえ、最後の質問で
「真」が上位で「仮」が下位だと明言された訳ですから

「真」だと信じたモノが、実は「仮」だった…
という状況も、まぁ「ありうる」という事ですよね。

最初に言った話は、あくまで「モノのたとえ」なのだから
真実を示している訳では無い…などという言い逃れはなしにして
正しく「真=目的」と「仮=手段」のポジショニングについて、
JJSGさんご自身の言葉でお答えください。

自分の意見を明かさずに言うのも失礼な話なので…
ちなみに、僕のスタンスは、
対等もしくは、そんなもんどっちでもいい
それがお釈迦様の教えなのだ…と思っています。

長々お話してきましたが、JJSGさんは一貫して
>「真」がまずあって、そこから「仮」が出てくる。
「>真」なくして「仮」はありえません。
というスタンスですから、あえてお伺いした訳ですが

この辺りでやっと、「真」と「仮」が逆転するかも知れない
…つまり、真実だと思っていた世界が、ウソだった事に気が付く事もありうる
という僕の逆説的 意地悪がやっとご理解いただけるのではないかと思います。

さて、お返事や如何に?

経典や、難しい話に逃げ込まず、解かり易く
過去のお話と矛盾のないように、納得のいくお話を
JJSGさんご自身の考えとして、お答えください。



Re: No title

癌ダムさん

コメントありがとうございます。
癌ダムさんらしくなってきましたねぇ♪

私も癌ダムさんのこと、親しい友人だと思っています。
だって、コメント下さるの、ほぼ癌ダムさんだけですもの♪
とてもうれしいですし、有り難いかぎりです。

とはいえ、「相変わらずの頑固ジジイ」 と思っていますけどね(笑)
悪い人ではない、面白くて、まじめで、親切で、頭いい人。
それに、自分の考えをしっかり持っていらっしゃる人ですよね。
たくましく自らの病気とも闘いながら、人も励まし、勇気づける、
人生の大先輩、素晴しい方だと尊敬しています。
だから私もまじめに誠実に応対させていただいております。

さて。
私は一人の仏法者、親鸞学徒として常に、

 「さらに珍しき法をも弘めず、
  釈迦のみ教えを我も信じ、
  人にも教え聞かしむるばかりなり」
 (親鸞聖人)

という立場でお話しています。

私の考えなどではなく、お釈迦さま、親鸞聖人はどう教えておられるか。
そういうことで、経典や聖教などの根拠を示すわけです。
根拠を示さずに自分の意見だけ書いていては、仏教ではありません。
私は常にそういう姿勢ですから、まずそれをご理解下さい。

ですので、少々難しくなることもあるかもしれませんが、
できるだけ分かりやすく書くように努めます。
とはいえ、「JJSGが仏教をどう理解しているか、その考えを聞かせよ」
ということだと思いますので、私の仏教の理解を元にご質問にお答えしますね。


>「真」と「仮」は逆転するとどうなるのでしょうか?

についての癌ダムさんのお考え、「逆説的 意地悪」、理解できました。

>「真」だと信じたモノが、実は「仮」だった…
>という状況も、まぁ「ありうる」という事ですよね。
>「真」と「仮」が逆転するかも知れない
>…つまり、真実だと思っていた世界が、ウソだった事に気が付く事もありうる


癌ダムさんの仰る通りで、世の中、「真」だと信じたモノが、実は「仮」だった、
という状況ばかりではないでしょうか。

「これこそ真実だ!」と思って信じていたが、また裏切られた。。。
信じていたものに裏切られるから、苦しむのです。
世の中見渡すと、信じたものに裏切られる、そんな繰り返しばかりではないでしょうか。
「人生苦なり」とお釈迦さまが仰る通りです。

そんな裏切るものばかりで、裏切らないものはない、としたら、
まさに癌ダムさんの仰る通り、「真」も「仮」もクソもないし、
何が上位で何が下位か、そんなもんどっちだっていい、でしょう。

癌ダムさんは「世の中の実態、真実」をよく御存じだからこそ、ですね。
全く癌ダムさんの仰る通りです。

私もそう思うし、お釈迦様、親鸞聖人がそうおっしゃっています。

 「煩悩具足の凡夫・火宅無常の世界は、
  よろずのことみなもって、そらごとたわごと、
  真実あることなきに、ただ念仏のみぞ、
  まことにておわします」
 (歎異抄)

 (いつ何がおきるか分からない火宅無常の世界に住む、
  煩悩にまみれた人間のすべてのことは、そらごとであり、
  たわごとであり、まことは一つもない。
  ただ弥陀の本願念仏のみがまことなのだ)

「諸行無常」がこの世の真実で、
裏切らない崩れない変わらないまことは一つもない。
「人生苦なり」(釈尊)のお言葉通りです。

しかし、そんな諸行無常の世界にあって、
唯一つだけ、真実の「真」があると、
お釈迦さまが教えられたのが 「仏教」 であり、
「阿弥陀仏の本願」 です。

 「如来所以興出世
  唯説弥陀本願海」
 (正信偈)


そして、その釈迦の教えの通り、弥陀の本願に救い摂られ、
弥陀の本願以外に、この世に確かなものは何もない、
鮮明不動の「法の深信」に立たれたのが親鸞聖人です。
この「弥陀の本願まこと」が、つねに親鸞聖人の原点です。

「法の深信」(ほう の じんしん) とは、
「法」とは「仏法」であり、「弥陀の本願」のこと。
「深信」とは、「深く信じて疑わない」ということではなく、
「真知」「明知」であり、「ツユチリの疑いなくハッキリ知らされる」ということ。
「法の深信」とは、「弥陀の本願まことだったとハッキリ知らされる」ということです。

そして、真実の「真」とは、「弥陀の本願」 のことであり、
「弥陀の本願に救われた世界」 であり、
「他力の信心」 であり、
「弥陀の誓願不思議に助けられまいらせた世界」 であり、
「摂取不捨の利益にあずけしめられた世界」 であり、
「往生一定」(極楽往き間違いなし) の身であり、
「正定聚」(正しく仏になるに定まった人) の身であり、
「無碍の一道」(一切が障りにならない境地) であり、
「絶対の幸福」(絶対に崩れない変わらない安心満足) です。

弥陀の本願に救われた「他力の世界」のみが「真」(真実)であり、
それ以外の一切は「仮」であり、弥陀の本願真実の世界に出させるための方便です。

これが釈迦の教えであり、親鸞聖人の教えであり、私の仏教の理解です。
「真仮」とは、釈迦の教えそのものであり、親鸞聖人のみ教えです。
「弥陀の本願」以外に真実はないのだから、仏教以外に「真仮」はありません。

「真仮が逆転する」ことは、仏教、弥陀の本願では絶対にありません。
「真」(他力)の世界に入ったら、絶対に裏切られることはありません。
裏切られ、真仮が逆転するなどということは、「仮」(自力)の世界だからです。
「仮」の世界にいて、これぞ真実、と思い込んでいるから、
そんなものは真実ではないから、真仮が逆転する、つまり裏切られるのです。
「仮」(裏切るもの)しか知らないから、そうなるのです。
「仮」の世界であり、まだ弥陀の救いに遇っていないから、そうなるのです。

 「真仮を知らざるによりて、
  如来広大の恩徳を迷失す」
 (教行信証)


この親鸞聖人のお言葉は、癌ダムさんに仰っているお言葉です。

 「お前はまだ本当の真を知らんのだ。
  真がハッキリ知らされたら、仮もハッキリする。
  真と仮が同時にハッキリ知らされるのだ。
  そのとき、わかるだろう」

その真仮の違いを、なんとかわかるように無理を承知で種々喩えで教えて下さったのが、
お釈迦さまであり、親鸞聖人です。
真実の「真」は、「不可称・不可説・不可思議」 です。

ちょっと難しかったでしょうか。。。

> 経典や、難しい話に逃げ込まず、解かり易く
> 過去のお話と矛盾のないように、納得のいくお話を
> JJSGさんご自身の考えとして、お答えください。


精一杯、私の仏教の理解を述べたつもりです。
まだまだ書きたいことは山ほどあります。

仏教は釈迦45年の教えであり、八万の法蔵と言われ、
一切経は七千余冊の経典であり、それを解釈された論・釈(解説書)も、
山ほどあります。
これら、すべてに精通しないと、仏教は絶対にわかりません。
真仮はわかりません。
そんなこと、どうして私は知ることができたのか。
親鸞聖人がおられなかったら、到底知ることはできなかったことでしょう。

>対等もしくは、そんなもんどっちでもいい
>それがお釈迦様の教えなのだ…と思っています。

そんな無責任で浅はかな教えが仏教ではありませんよ。
仏教にはハッキリとした答えがあり、目的があり、
ゴールがあり、決勝点があり、卒業があります。
真と仮がハッキリ水際立つ「一念」があるのです。

なにもわかっておられないのに、自分勝手に仏教なんてこんなもんだろう、
と理解して、「それが釈迦の教えなのだ」などと、知ったかぶりして、
無責任なこと言っちゃいけませんよ。

「対等もしくは、そんなもんどっちでもいい 」
とお釈迦様がどこかに教えておられるなら、その根拠をお示し下さいませ。
絶対にそんなお言葉はありませんけどね。

わかりにくかったと思います。説明が下手なことは正直にすみません。
またコメント下さいませ♪
ありがとうございました。
JJSG

No title

では「色即是空 空即是色」の意味を説明してください。

そんな事は、小さな人間ごと気が考える事で
どっちだってかまやしない。
ゼロ=∞って事を、お前らはわかってないのだな。

真=生きる目的だとか
仮=生きる手段だとか、そんな事は
スタンスや事情によってどうにでも変わるし
どっちだってかまやしない

諸行無常であるからこそ、我思うに我あり…なんだと
ただ一人、生と死のはざまに立たされた時
須弥山に降りられて、お話になったお釈迦様のお気持ちが
やっと解かった気がいたしました。

他力とか自力とか、そんなこともどうでもよろしい。
難しいとか、すべてを学ばないと解からないなら笑止千万
解かり易く、例えていたのは「ウソ」だったのですか?

僕が何故、JJSGさん、ご自身のお考えで…と問うかは
もし、貴君が、深く考えた上で、入信し
幸せを感じたなら、それも佳しとは思いますが

それならば何故、癌に苦しみ、明日をも知れない人へ
思い悩んだ挙句、何か言葉をかけてあげてくださいと、頼んだ折
一言も掛けることなく、
「死ぬのは怖い」と言い続けるのが、
仏の道を説く人にふさわしい態度なのでしょうか?

少なくとも、お釈迦さまやゴータマ・シッタルダ、
そして、事阿弥陀如来や観音様は
そんな事は、決してしなかったように思います。

所業無情であればこそ、なおのこと
自らの信じる道を生きよ…と、お釈迦様は説かれてるのだと
僕は思いますが、JJSGさんは
ご自身の道を生きてらっしゃいますか?

長くなりました。
「色即是空 空即是色」の意味のついてお答えください。

そもそも仏教には「真」とか「仮」と言う概念はありません。
後から勝手に、日本のお坊さんたちが付けくわえたモノですが
布教の為に、何も考えずにただ信じなさい
そうすれば救われる・・・というのは、ちょっと違うのかな?
と僕は思います。

JJSGさんの信じている仏の道も、また夢幻かも知れず
真は仮、仮は真かも知れません
そうした事は、どうでもいいことだ…という事を
「諸行無常」と言う・・・
すなわち、真とか仮とか言う事の「上位概念」ではありませんか?

はい、どうそ、反論してください(笑)






Re: No title

癌ダムさん

コメントありがとうございます。

やっぱあなたは 「頑固おやじ」 ですね。
これぞ癌ダムさん。 癌ダム節、炸裂!!(笑)

さて。
私は、仏教、浄土真宗を深く信ずる者です。

 「さらに親鸞、珍しき法をも弘めず、
  釈迦の教法を、われも信じ、
  人にも教え聞かしむるばかりなり」

と常に仰って、自らの考えや思い、釈迦の説かれなかった珍しき法ではなく、
真実の仏教を、経典や論・釈の根拠を示して正しくお伝えくださった、
親鸞聖人のみ後に従う浄土真宗門徒、親鸞学徒です。

妄信できるならしたいものですが、
それほど単純ではありません。

智慧第一、勢至菩薩の化身と謳われた法然上人の弟子であり、
七千余巻の一切経(釈迦45年の教えのすべて)を何度も何度も読み破り、
それを解釈された高僧方の論、釈、聖教も読み破られた、
仏教の大学者である、親鸞聖人の教えを聞いて、学んで、
そして、ない頭で懸命に考え、理解する努力をする。

それが、自分の信ずる道であり、私の生きる道です。

だから、このブログでは、
お釈迦さまはこう教えておられる、
親鸞聖人はこう教えておられる、
と経典や聖教の根拠を示して、それを説明する。
ただ、それだけです。

対して、癌ダムさんは、
「僕はこう思っている」
と経典や聖教の根拠を示さず、
自分の経験や考えや思いをひたすら主張しつづける。
それでは、癌ダムさんの教えであって、仏教ではありません。


> そもそも仏教には「真」とか「仮」と言う概念はありません。

これには、びっくりたまげました。
仏教界がひっくり返りますよ。(><)

仏教はこうだ、と主張するのなら、
自分の考えではなく、経典の根拠を示すか、
論・釈および聖教の根拠を示しましょうね。

ということで、親鸞聖人の教えに従って、
「真」と「仮」について展開してきた、
私と意見が交わるわけがないのです。

こうなることは、わかっっていたことですが。。。
もしかして、今回は。。。とちょっとだけいつも期待するのですが。。。

もう平行線になるだけなので、やめましょう。

ちなみに、「色即是空 空即是色」の意味。
残念ですが、癌ダムさんが納得・満足されるような答えを私は知りません。
よって、お答えできません。
すみません。

たくさんコメント下さって、ほんとうにありがとうございます。
感謝しています。
いろいろコメント下さるので、頭使いますし、考える機会を得ます。

なのに、私の勉強不足、説明が下手で、
理解してもらえるように書けない。
癌ダムさんが納得、満足してもらえるように書けない。

自分自身の力不足、説明不足を素直に反省したいと思います。

もっともっと勉強したいと思います。
今後ともよろしくお願いします。

こんな返答で許してもらえます?(><)
JJSG

No title

その通りですよ。

僕は仏教的な概念や思想に深く共感する者ですが
宗教として、それを信じる者ではありません。
ですが自分の考えで生きて行ってはいけませんか?

また、冷静に考えて、JJSGさんもまた仏教徒ではなく
仏教の経典を読んで、自分流の解釈で異端?の宗派を起こした
「親鸞教」の信者さんなのではありませんか?

↑のお話では、自分の考えを語るのではなく
教えを広めるのが、このブログだという事なので
JJSG さん個人の考えを聞こうとするのはもうやめます。
(…どのみち無駄でしょうから)

ただ、「真」と「仮」のお話が
僕のお聞きした、「色即是空 空即是色」の概念と
完全に矛盾していることは、ご理解いただけましたよね。

あさっての様なお話や
ヒステリックな誹謗中傷は結構ですから
お宅様の宗派では
「色即是空 空即是色」はどう解釈されているのでしょうか?
少し興味があります。

それと、JJSGさん、個人としての生き方、考え方にもですね。

Re: No title

癌ダムさん

コメントありがとうございます。

お互いに自己主張を貫き、
決して交わらない 「頑固ジジイ」 ですな。
なのに、こうして毎日のようにコメント交換している。
不思議で、面白いですね。

ブログのこのコメント上で、癌ダムさんと交換日記、あるいは文通しているようで、なんだか不思議な気持ちでございます。
ときどきカチン! としながらも、こうしてコメント交換できるこは、とてもうれしく、有難く思います。

少しクールダウンしましょうか。(^^)

自分の考えで生きていって、いいじゃないですか。
私もそうですし、そうでなければならない、と思っています。

私は、何度も書いてますが、
癌ダムさんのこと、立派で素晴らしい方だと尊敬しています。
癌ダムさんのことを人として誹謗中傷したことは一度たりともありません。

こと仏教に関しては、誤解され、ねじ曲げられたら、
見過ごすことはできないのです。
親鸞聖人もそうでした。

仏教は釈迦の説かれた教えです。
七千余巻の一切経として書き残されています。
また高僧方がそれを解釈されたものが、「論」「釈」です。

仏教に関しては、自分で勝手に解釈するのではなく、
「経・論・釈」を根拠として示した上で、主張すべきだ、
と申しているだけです。

つまり、「仏教ではこう教えられている」 と言う場合は、
きちんと根拠を示しましょう、ということです。

自分の考えや自説を展開するのは大いに結構です。
なにも問題ありません。

しかし、「仏教はこうだ」という言い方をするときは、
気をつけねばなりません。

「仏教ではこう教えられている」 と言う場合は、
お釈迦様が教えられたとおりに書かねばなりません。
自分勝手に都合よく解釈して、適当なことを言ってはならない、
ということです。
ただそれだけです。

今日は仕事が休みで、ちょっと今から家族で出かけるので、
お尋ねの件、

 ・「色即是空 空即是色」 について
 ・JJSG私個人としての生き方、考え方 について

は、もうしばらくお待ちくださいませ。
JJSG

Re: No title

癌ダムさん

> 「色即是空 空即是色」はどう解釈されているのでしょうか?

実は以前にもどなたか(たぶん癌ダムさん)にコメントいただいて、
お答えしたことあるのですが、何度でも書きます。


「色」
 というのは、 目に見えるもの、
形づくられたものという意味。

木も草も犬も猫も人間もすべて 「色」。
そして、「色」 は、お釈迦さまが
「諸法無我」 「諸行無常」 と仰言ったように、
実体としてあるものではなく、時々刻々と変化している。

たとえば今、目に見えている物。
これは 「色」 です。
皆、目に見えるものは、そこにあると思っている。

しかし、今の私はは昨日の私ではないし、
今日の私は明日の私ではない。

そのように 「色」 には不変の実体はないから、
それはすなわち 「空」
 ということ。


「空」
 とは、空っぽとか、
何もないという意味ではありません。

たとえば、ここに柿の木が一本ある。
秋には実がなる。
しかし実がなるためにはまず地球があって、
柿の木が大地にしっかりと根を張っていなければならない。

その土には水分、栄養分がいる。
さらに太陽が照って葉に光が当たらないといけない。
もちろん空気もいる。

そのように柿の実というものは、
そのものだけでは存在しない。
周りのものすべてが因縁和合して
一つの柿が存在する。

それは柿の実だけではなく、
あらゆるものに当てはまる。

すべてのものが網の目のように
お互いに関係しあって存在していて、
単独に存在するものはない。

時間的にさかのぼって考えれば、
この宇宙は何百億年という昔、
ビッグバンという大爆発に
よって生じたといわれています。

爆発し宇宙が拡散していく過程で、
冷えて物質が生じ、太陽も地球もでき、
ついには人間のような生命をも生み出した。

だから、もとを正せば、宇宙に存在するものは
すべて目に見えないエネルギーの
さまざまな表現形態だということになります。

そのエネルギーがすなわち 「空」 であり、
その 「空」 から生み出され、形に表れたものが 「色」。



ある保育所が閉所になった。

看板の文字が消され、
内部はがらん堂ではあったが、
建物だけは残っていた。

ところが、しばらくぶりに訪れると、
建物の影も形もなくなり、
ただの更地になってしまっていた。

「ああ、とうとう無くなって
 しまったんだなあ」


そんな感慨にふけりながら、ある古歌を思い出す。

「引きよせて 結べば柴の 庵にて
  解くればもとの 野原なりけり」


庵というものは、野原の柴を集めて結べばできる。
縁がなくなってバラバラになれば、元の野原になる。

一時、庵というものがあるのであって、
変わらぬ 「庵」 というものがあるのではない。

建物でも、因縁でいろいろのものが
集まって造られているのです。
柱、土台の石、壁、床板、などが集まって、
形になっているものを 「建物」 と言っている。

因縁が離れてバラバラになれば、建物はどこにもない。
「建物」 というものが、
いつまでもあるように思っているが、
やがて因縁がなくなれば、跡形もなくなるので、
「建物」 という固定不変の実体はなく、
因縁のある間だけが 「建物」 なのです。

「あらゆるものは因縁所生のもの。
 因と縁とが結びついて、
 仮にでき上がっているもの」


更地になった光景が、
仏教で教えられる奥深い哲理を、
思い起こさせてくれます。

以上です。
私JJSGの考え方や生き方については、また別の機会にしましょう。

ところで、癌ダムさんは「ゼロ=無限大」と言っていますが、
よろしければ、もう少し詳しく教えてくれませんか?

最後にお釈迦様のお言葉。

 「人身受け難し、今已に受く。
  仏法聞き難し、今已に聞く。
  この身今生に向かって度せずんば、
  さらにいずれの生に向かってか、
  この身を度せん」
 (釈尊)

 (生まれ難い人間に生まれることができてよかった。
  「なぜ生きる」一つ教えられた、聞き難い仏法を聞けてよかった。
  生きている今、人生の目的を達成しなければ、
  助かるチャンスは永遠になくなるであろう。)


ありがとうございました。
JJSG

No title

「色」は「形あるもの」で、お金とか名声とか、信念とか、
それこそ無限にありますよね
「空」は、「空しい」ということで、すなわちゼロです。

宇宙は「無限大」ですが、始まりのビッグバンの体積は「ゼロ」
エネルギーは無限大で、質量はゼロ…という概念ですよね。

歌舞伎の世界では、「見栄を切る」と言い
ポーズを決めた役者の後ろで、
パタパタバタ、チョーンと大音量で拍子木を打ちますが
最大限の感情表現である「大見得」というのは

静寂=まったくの無音で表現します。

無限大の音量をゼロで表現しているわけですが
これもまた「色即是空」の表現という事ですね。

要するに、お金とか名声とか、宗教的なこだわりだとか、知識とか
そんなものは空しいものではあるけれど
それでもそれがないと始まらない話であるから、一生懸命務めよ
・・・ということで、正しい解釈とすべきではないでしょうか?


(生まれ難い人間に生まれることができてよかった。
  「なぜ生きる」一つ教えられた、聞き難い仏法を聞けてよかった。
  生きている今、人生の目的を達成しなければ、
  助かるチャンスは永遠になくなるであろう。)


○○をしなければ、助かるチャンスは永遠になくなるであろう…
これって、見方を変えれば、「脅迫文」「脅し文句」ですよね。

「仏法」を「お金儲けメソッド」に置き換えて読むと
聞き難いメソッドを聞けてよかった。
  生きている今、メソッドを達成しなければ、
  儲かるチャンスは永遠になくなるであろう

「ダイエット法」に置き換えて読むと
聞き難いダイエット法を聞けてよかった。
  生きている今、子のダイエット法を達成しなければ、
  痩せるチャンスは永遠になくなるであろう・・・

ご自身が何を書いておられるか「理解して」らっしゃいますか?
ご自身は「善かれ」と思って、なさっておられるとは存じますが
書かれていることは、仏の心ではなく
布教、入信を促すための「脅迫文」ですよ。

こうした文章表現や、布教活動は広告の世界では厳しく禁止されており
新聞、雑誌、テレビ、ラジオなどでは、罰則も用意されていますが
ネット上では法整備が整っておらず野放し…ではありますが
ご存じないなら、覚えておいてください。

僕が、なぜJJSGさん個人の考えを聞くか?…という理由は、
本来、人を救うべき立場にある宗教が、
振り込め詐欺まがいのテクニックで
人を脅すような真似をしてはならない・・・と思うからです。

僕は、宗教の専門家ではありませんが
広告表現やマーケティング手法の専門家ですから
人の心を動かすテクニックについては良く存じています。

ですが、人は何をやってもいいわけではなく
たとえば「この商品を買わなければ、幸せになれません」とか
「このネックレスで幸運が呼べます」なんて事が通る訳もありませんが

人の弱みに付け込む商法、たとえば
「この商品を買えば、がんが治ります」なんて話は
なかなかなくなりません。

これが宗教団体がマスコミ媒体を使って、布教活動を固く禁じている
理由であるわけですが、ご理解いただけますでしょうか?

JJSGさんが、個人として、宗教的な思いを語るのは結構です。
でも、公共のメディアを使って布教活動をされているのなら
それは、法整備が遅れているだけの犯罪行為です。

もちろん、そんなことをよしとされる方ではないと信じてはおりますが
お互い、個人の想いの範囲で、楽しい交流を図りたいモノですね。

Re: No title

癌ダムさん

コメントありがとうございます。

> ○○をしなければ、助かるチャンスは永遠になくなるであろう…
> これって、見方を変えれば、「脅迫文」「脅し文句」ですよね。

そうでありましたか、失礼いたしました。

> ご自身が何を書いておられるか「理解して」らっしゃいますか?

いやいや、全く無自覚でございました。

> ご自身は「善かれ」と思って、なさっておられるとは存じますが
> 書かれていることは、仏の心ではなく
> 布教、入信を促すための「脅迫文」ですよ。

そうでありましたか、知りませんでした。

> こうした文章表現や、布教活動は広告の世界では厳しく禁止されており
> 新聞、雑誌、テレビ、ラジオなどでは、罰則も用意されていますが
> ネット上では法整備が整っておらず野放し…ではありますが
> ご存じないなら、覚えておいてください。

はい、わかりました。しっかり覚えておきます。

> JJSGさんが、個人として、宗教的な思いを語るのは結構です。
> でも、公共のメディアを使って布教活動をされているのなら
> それは、法整備が遅れているだけの犯罪行為です。

そうでしたか。全く存じませんでした。
数々のご指摘、ご忠告、ありがとうございました。

たった今、癌ダム先生から教えて頂いたばかりですので、
さっそく私もご忠告として使わせていただきます。

癌ダムさんから頂いたありがた~い数々のコメントは、
公共のメディアを使ったネット上での私への「脅し文句」であり、
〝癌ダム狂” の「布教活動」であり、
入信を促す「脅迫文」ですよ。

癌ダムさんのような人の心を動かすテクニックに通じた、
広告表現やマーケティング手法の専門家のようなお方が、
振り込め詐欺まがいのテクニックで人を脅すような真似をしてはならない・・・
と思いますよ。

癌ダム先生によれば、これらの行為は 「犯罪行為」 だそうです。
もちろん、そんなことをよしとされる方ではないと信じてはおりますが。。。
でも、ご安心下さい。
ネット上では法整備が遅れているそうなので、まだ罪にならないようです。
よかったですね♪

> お互い、個人の想いの範囲で、楽しい交流を図りたいモノですね。

まったく、そう願いたいものですなぁ。


お釈迦様、七高僧方のお言葉で返事しようといろいろ準備し、考えました。
でも、お釈迦様、七高僧方の善巧方便のご文を「脅迫文」「脅し文句」と平気でいい、
命懸けで真実の仏教を布教されたお釈迦様、七高僧方を平気で「犯罪者」扱いされる方なので、
それでは全く効果ないと思いました。

というわけで、頂いたばかりの有り難い癌ダム先生のお言葉で
そのまま返してみました。

いかがです? ものすごい強烈でしょ。
ご自分の言葉です。しっかりかみしめて下さいませ。

最後に、癌ダムさんが「脅し文句」「脅迫文」「犯罪行為」
と断定されるお釈迦様、七高僧方のご文を示しておきましょう。
あえて現代語訳は書きません。
ご自身の都合のいいように解釈なさればいいでしょう。


 「人身受け難し、今已に受く。
  仏法聞き難し、今已に聞く。
  この身今生に向かって度せずんば、
  さらにいずれの生に向かってか、この身を度せん。
  大衆もろともに、至心に三宝に帰依し奉るべし」
 (釈尊)

 「教語開示すれども信用する者は少し。
  生死やまず、悪道絶えず」
 (『大無量寿経』)

 「心常念悪 口常言悪 身常行悪 曽無一善」
 (『大無量寿経』)

 「大命将に終らんとして悔懼交至る」
 (『大無量寿経』)

 「従苦入苦 従冥入冥」
 (『大無量寿経』)

 「心口各異 言念無実」
 (『大無量寿経』)

 「一人一日のうちに八億四千の憶いあり、
  念々になすところこれみな三塗の業なり」
 (善導大師)

 「まことに死せんときは、予てたのみおきつる妻子も財宝も、
  わが身には一つも相添うことあるべからず。
  されば死出の山路のすえ・三塗の大河をば、
  唯一人こそ行きなんずれ」
 (御文章)

 「ひとたび地獄に入りて長苦を受くる時、
  始めて人中の善知識を憶う」
 (善導大師)

 「諸々の比丘よ、如何なる喩と雖も、
  如何に地獄の苦なりやを説くこと能わず」
 (『賢愚経』)

 「呼吸のあいだすなわちこれ来生なり。
  一たび人身を失いぬれば万劫にも復らず。
  この時悟らざれば、仏、衆生を如何したまわん。
  願わくは深く無常を念じて、徒に後悔をのこすことなかれ」
 (『教行信証』)

 「出息入息 不待命終」
 (『大無量寿経』)

 「地獄に堕ちる者は十方世界の土の如く、
  人間に生れる者は爪の上の土の如し」
 (『涅槃経』)

 「『この法をば信ずる衆生もあり、
  謗る衆生もあるべし』と仏説きおかせ給いたることなれば、
  我はすでに信じたてまつる、また人ありて謗るにて
  『仏説まことなりけり』 と知られ候」
 (歎異抄)

 「この信心を獲得せずば、極楽には往生せずして、
  無間地獄に堕在すべきものなり」
 (御文章)

 「後生という事は、ながき世まで地獄におつることなれば、
  いかにもいそぎ後生の一大事を思いとりて、
  弥陀の本願をたのみ、他力の信心を決定すべし」
 (帖外御文)

 「釈迦・弥陀は慈悲の父母
  種々に善巧方便し
  われらが無上の信心を
  発起せしめたまいけり」
 (高僧和讃)

 「五濁の時機いたりては
  道俗ともにあらそいて
  念仏信ずるひとをみて
  疑謗破滅さかりなり」
 (正像末和讃)

 「更に親鸞珍らしき法をも弘めず、
  如来の教法を、われも信じ人にも
  教え聞かしむるばかりなり」
 (御文章)

 「あわれあわれ存命のうちに、
  みなみな信心決定あれかしと、
  朝夕思いはんべり」
 (御文章)


もうこのくらいにしておきます。


真実の仏法者にとって、正しい念仏者にとって、
命かけて護らねばならぬものは、国法でもなければ、
世間体でもない。無論、名誉でもなければ財産でもない。
それはただ、釈尊出世の本懐である、「一向専念無量寿仏」と、
その布教だけである。


JJSG

No title

困った方ですね(苦笑)

悔しいのかどうかは存じませんが
批判されるのなら、何か「論拠」や「根拠」をあげてご説明ください。

>癌ダムさんから頂いたありがた~い数々のコメントは、
>公共のメディアを使ったネット上での私への「脅し文句」であり、
>〝癌ダム狂” の「布教活動」であり、
>入信を促す「脅迫文」ですよ。

これは、単なる「誹謗・中傷」であり、
これもまた、侮辱罪に値しますよ(笑)

僕は、具体的な例を挙げて
この文章に、この部分は、よくないよ…と、親切心から
指摘させていただいただけですよ。

ところが、JJSGさんは、善意の他人の事を「狂」聞違いとなじり
ありもしない宗教をでっち上げて
事実無根の中傷記事を文章にしておられます。
(子供みたいな真似は、おやめなさい)

その後の「呪いの文句」は
まぁ、ご自身で「何を書いたか」解釈していただくとして

>真実の仏法者にとって、正しい念仏者にとって、
>命かけて護らねばならぬものは、国法でもなければ、
>世間体でもない。無論、名誉でもなければ財産でもない。
>それはただ、釈尊出世の本懐である、「一向専念無量寿仏」と、
>その布教だけである。

こうやって、あなた方の宗派は「一向一揆」を起こし
何万人もの、死ななくてもよかった人々を殺し…などとは申しませんが
これって、ローマ法王と対峙したキリスト教徒と同じじゃありませんか?

そしてまた、この考え方って、「民主主義の全面否定」ですよね。
ちょっとまずくありませんか?

Re: No title

癌ダムさん

同じ言葉を使っても、
あなたの私に対するコメントは「誹謗・中傷」ではなく善意で、
私のあなたに対するコメントは「誹謗・中傷」で「侮辱罪」となる。
まったく、ほんとに困ったジジイですね。

そしてまた、お釈迦様、高僧方の御文を「呪いの文句」と平気で言う。
これは「誹謗・中傷」「侮辱罪」にはならないのですかね。
それでいて「私は仏教徒」だとよく言えますよね。
わけわからん。。。

善意でやっておられるようですが、どこが善意なのか。
どこが親切心なのか。
癌ダムさんが、何をどうしたいのか、さっぱりわかりません。

今度は、「民主主義の全面否定」だとか、またわけのわからんこと言いだして。
どういう理解の仕方をしたら、そうなるのか。。。

他人のブログに難癖つけるのが、あなたの趣味か知りませんが、
やられた方は、決して気持ちのいいものではありません。

もうこれ以上コメントやりとりしても、嫌な気持ちになるだけで、
得るものはお互い何もないでしょう。

もとの本題からどんどんかけ離れていくし。
まったくの「戯論」ですから、もうやめましょうね。
JJSG

光に向かってますね

見つけましたよ。純さん。
深い議論は大事だけど、要は、

自分がどれだけ善い行いをするか、

ですね。

自業自得、ですからね。

Re: Re: 光に向かってますね

ぱちきさん

コメントありがとうございます。
深い(不快)議論は苦手ですが、だまってられなくて。。。(><)

私のことを「純さん」と呼ぶあなたは、どこのどなたでしょうか?
よろしければ、ブログ左下のほうにある「メールフォーム」からメール下さいませ♪
Secre

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プロフィール

JJSG

Author: JJSG
男 173cm 血 O型
1972年7月29日生
(42歳)

福岡県出身
愛知県一宮市で育つ
シンガポール居住を経て、
(2007.9~2013.3)
現在は、日本在住
(名古屋近郊)
職業: 平凡なEngineer

スポーツ大好き♪
(野球、バドミントン)
カラオケ大好き♪
(演歌最高!)

父は、鹿児島県出身。
母は、福岡県出身。
共に九州、浄土真宗門徒。

私も、仏教、親鸞聖人の教えを、少しずつ学んでいます。

禁煙 2009年1月4日~
半日断食 2009年7月~
(すっかりサボり気味。。。)
体重:
MAX 81.4kg 理想 63kg

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