眼前に、人生の目的が、突きつけられる
2014.07.21
2014年7月21日(月) 72.4 kg 20.5 %
祝日「海の日」で、仕事休みでしたので、
今日は、家族とゆっくり過ごしました。
健康診断も終わったし、ダイエットはひと区切り。
ですが、誕生日までに 72kg を切りたいな。
当面の目標は、9月末までに 70kg を突破することだな。
=== 今日の一日一訓 ===
苦しみから目をそらさず凝視するようにしよう。
親鸞聖人のみ教えを学んでいます。
人は、生まれたときが母艦を飛び立った飛行機とすれば、
悪戦苦闘の生きざまは、乱気流や暴風雨との闘いであり、
敵機との交戦である。
激闘のすえ帰還すると、母艦の影も形も見当たらぬ。
見わたすかぎりの大海原。 燃料計はゼロ、としたらどうだろう。
長い死闘はなんだったのか。 バカだった、バカだった・・・・・・。
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★★★

★★★
「臨終に、後悔と恐れが、代わる代わるおこってくる」
と説かれるのは、海面に激突する心境にちがいない。
飛行機に墜落以上の大事はないように、人生に死ぬ以上の大事はない。
生死の一大事 とも、 後生の一大事 ともいわれるゆえんである。
ムダな日々をすごしてきた。
求めるものが間違っていた。
才能、財産、権力があれば他人はうらやむが、
わが身にはよろこびも満足もない。
なぜ心の底から満足できる幸せを求めなかったのか。
後悔のため息ばかりであると セネカ (二千年前のローマの思想家) は言っている。
「こんなはずではなかった」 と、
真っ暗な後生 (無明の闇) に驚く、後悔にちがいなかろう。
終幕の人生にならないと誰も気づかない落とし穴だから、
チェーホフ (ロシアの小説家) は、代表作 『六号病室』 で、
「人生は、いまいましい罠」 と表現したのかもしれない。
「世の中の人は、目先のことばかりに心をうばわれて、
無明の闇を破る人生の大事を知らない」
釈尊の警鐘乱打である。
「弥陀の誓願は、私たちの苦悩の根元である無明の闇を破り、
苦しみの波の絶えない人生の海を、明るく楽しくわたす大船である。
この船に乗ることこそが人生の目的だ」
親鸞聖人が、無明の闇を苦悩の根元と断言し、
これを破って無尽の法悦を得ることこそが、
人生の目的であると明示された純正さが、
いよいよ鮮明に知られよう。
この生死の一大事を知れば、人生の目的の有無などの議論は、
吹き飛んでしまうにちがいない。
眼前に、人生の目的が、突きつけられるからである。
★★★

祝日「海の日」で、仕事休みでしたので、
今日は、家族とゆっくり過ごしました。
健康診断も終わったし、ダイエットはひと区切り。
ですが、誕生日までに 72kg を切りたいな。
当面の目標は、9月末までに 70kg を突破することだな。
=== 今日の一日一訓 ===
苦しみから目をそらさず凝視するようにしよう。
親鸞聖人のみ教えを学んでいます。
人は、生まれたときが母艦を飛び立った飛行機とすれば、
悪戦苦闘の生きざまは、乱気流や暴風雨との闘いであり、
敵機との交戦である。
激闘のすえ帰還すると、母艦の影も形も見当たらぬ。
見わたすかぎりの大海原。 燃料計はゼロ、としたらどうだろう。
長い死闘はなんだったのか。 バカだった、バカだった・・・・・・。
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★★★



★★★
大命、将に終らんとして悔懼こもごも至る
(『大無量寿経』)
「臨終に、後悔と恐れが、代わる代わるおこってくる」
と説かれるのは、海面に激突する心境にちがいない。
飛行機に墜落以上の大事はないように、人生に死ぬ以上の大事はない。
生死の一大事 とも、 後生の一大事 ともいわれるゆえんである。
ムダな日々をすごしてきた。
求めるものが間違っていた。
才能、財産、権力があれば他人はうらやむが、
わが身にはよろこびも満足もない。
なぜ心の底から満足できる幸せを求めなかったのか。
後悔のため息ばかりであると セネカ (二千年前のローマの思想家) は言っている。
「こんなはずではなかった」 と、
真っ暗な後生 (無明の闇) に驚く、後悔にちがいなかろう。
終幕の人生にならないと誰も気づかない落とし穴だから、
チェーホフ (ロシアの小説家) は、代表作 『六号病室』 で、
「人生は、いまいましい罠」 と表現したのかもしれない。
世人薄俗にして、共に不急の事を諍う
(『大無量寿経』)
「世の中の人は、目先のことばかりに心をうばわれて、
無明の闇を破る人生の大事を知らない」
釈尊の警鐘乱打である。
難思の弘誓は、難度の海を度する大船、
無碍の光明は、無明の闇を破る慧日なり。
(『教行信証』)
「弥陀の誓願は、私たちの苦悩の根元である無明の闇を破り、
苦しみの波の絶えない人生の海を、明るく楽しくわたす大船である。
この船に乗ることこそが人生の目的だ」
親鸞聖人が、無明の闇を苦悩の根元と断言し、
これを破って無尽の法悦を得ることこそが、
人生の目的であると明示された純正さが、
いよいよ鮮明に知られよう。
この生死の一大事を知れば、人生の目的の有無などの議論は、
吹き飛んでしまうにちがいない。
眼前に、人生の目的が、突きつけられるからである。
★★★



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