欲しい物が手に入れば本望?
2015.01.22
2015年1月22日(木) 76.4 kg 21.7 %
=== 今日の一日一訓 ===
相手の話を親身になって聞く。
真剣に頷いて聞くだけで喜ばれるものです。
これがなかなか難しい。。。
親鸞聖人の教えを学んでいます。
人間は欲しい物を手に入れて、
やりたいことを思う存分やって死ねれば、
本望ではないだろうか。
よろしければ下の 続きを読む をクリックして、続きを読んで下さいませ。
★★★

★★★
「人生、ちょっとカッコつけると楽しいよ」
なんのことかと思ったら自動車メーカーのCMです。
「24時間戦えますか!」
強壮剤(リゲイン) のCM。
「スプーン一杯で驚きの白さに!」
洗剤(アタック)のCM。
「なめたらあかん~、なめたらあかん~、
人生なめずに、これなめて~」
のど飴のCM。
あれも欲しい、これも欲しいと、
つねに消費欲をかき立てられます。
これでも買わぬか、これでもかと訴える。
商魂のたくましさにウツツを抜かしていると、
ますますお金が欲しくなる。
金のほかに、人間の幸福がないように思うのも無理はない。
そこで金、金、金と、日夜アクセク働くのでしょう。
確かに、生活に大切なことに違いない。
しかし、これらの物が十分に調い、
経済的な安定が得られさえしたら、
人間は本当に満足し幸福になれるのだろうか。
思う存分なんでも手に入れれば、
悔いのない人生を送れるのだろうか。
功成り名遂げた太閤秀吉は、
大阪城内に黄金の茶室を造り、天下の名器、珍宝を集め、
美女をはべらせ威勢を張っていましたが、
聚楽第の湯殿や便所にまで、隠し堀を引いて舟を浮かべ、
いつ襲われても脱出できるようにしていたといいます。
少年時代の秀吉は、裸でどこにでも寝転んで平気でしたが、
権力を握り天下を取ると、得意の絶頂でありながら
内心は戦々恐々としていたのです。
「露と落ち 露と消えにし 我が身かな
難波のことも 夢のまた夢」
彼の辞世は、人間の生きる目的はほかにある明証でしょう。
金持ちである、財産がある、地位がある、健康だ、名声が高い、
豪壮な邸宅に住んでいるという事実は、絶えず変化します。
大きく変化するか、少しずつ変わるかの違いだけで、
この世に変化しないものは何一つありません。
すべてが、次の瞬間には崩壊につながっているのです。
このような、虚構の上にアグラをかき、
そこに安住を求め幸福を築こうとしても、
所詮、浦島太郎の竜宮城の幸福でしかありません。
乙姫さまの寵愛を受け、百味のご馳走に満腹し、
舞妓の饗宴に日夜、歓楽を尽くしましたが、
やがて玉手箱を開けると、そこにあったものは、
漠々たる荒野の中に、ただ独り方角も分からず、
泣き崩れるよりない浦島太郎でした。
すべての人類に、玉手箱は今すでに開いています。
「人生は、ただ一瞬の稲光り、朝露のようにはかないものである。
楽しみといっても夢幻でしかない。
たとえ栄華栄耀を極めて思い通りになっても、せいぜい五十年か百年のことにすぎないではないか。
もし今、無常の風に誘われたならば、ひとたまりもないのである。
いよいよこの世の別れとなれば、かねてから、頼りにしていた妻子も財宝も、何ひとつあて力になるものはない。
みんな剥ぎ取られて、独りでこの世を去らねばならぬのである」
人は、百味のご馳走、金や財、名誉、地位、享楽などの夢を追い、
夢に酔うことを幸福と信じ、必ず、開かなければならない玉手箱を知らない。
活眼を開いて人生を達観しようではありませんか!
★★★

=== 今日の一日一訓 ===
相手の話を親身になって聞く。
真剣に頷いて聞くだけで喜ばれるものです。
これがなかなか難しい。。。
親鸞聖人の教えを学んでいます。
人間は欲しい物を手に入れて、
やりたいことを思う存分やって死ねれば、
本望ではないだろうか。
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★★★



★★★
「人生、ちょっとカッコつけると楽しいよ」
なんのことかと思ったら自動車メーカーのCMです。
「24時間戦えますか!」
強壮剤(リゲイン) のCM。
「スプーン一杯で驚きの白さに!」
洗剤(アタック)のCM。
「なめたらあかん~、なめたらあかん~、
人生なめずに、これなめて~」
のど飴のCM。
あれも欲しい、これも欲しいと、
つねに消費欲をかき立てられます。
これでも買わぬか、これでもかと訴える。
商魂のたくましさにウツツを抜かしていると、
ますますお金が欲しくなる。
金のほかに、人間の幸福がないように思うのも無理はない。
そこで金、金、金と、日夜アクセク働くのでしょう。
確かに、生活に大切なことに違いない。
しかし、これらの物が十分に調い、
経済的な安定が得られさえしたら、
人間は本当に満足し幸福になれるのだろうか。
思う存分なんでも手に入れれば、
悔いのない人生を送れるのだろうか。
功成り名遂げた太閤秀吉は、
大阪城内に黄金の茶室を造り、天下の名器、珍宝を集め、
美女をはべらせ威勢を張っていましたが、
聚楽第の湯殿や便所にまで、隠し堀を引いて舟を浮かべ、
いつ襲われても脱出できるようにしていたといいます。
少年時代の秀吉は、裸でどこにでも寝転んで平気でしたが、
権力を握り天下を取ると、得意の絶頂でありながら
内心は戦々恐々としていたのです。
「露と落ち 露と消えにし 我が身かな
難波のことも 夢のまた夢」
彼の辞世は、人間の生きる目的はほかにある明証でしょう。
金持ちである、財産がある、地位がある、健康だ、名声が高い、
豪壮な邸宅に住んでいるという事実は、絶えず変化します。
大きく変化するか、少しずつ変わるかの違いだけで、
この世に変化しないものは何一つありません。
すべてが、次の瞬間には崩壊につながっているのです。
このような、虚構の上にアグラをかき、
そこに安住を求め幸福を築こうとしても、
所詮、浦島太郎の竜宮城の幸福でしかありません。
乙姫さまの寵愛を受け、百味のご馳走に満腹し、
舞妓の饗宴に日夜、歓楽を尽くしましたが、
やがて玉手箱を開けると、そこにあったものは、
漠々たる荒野の中に、ただ独り方角も分からず、
泣き崩れるよりない浦島太郎でした。
すべての人類に、玉手箱は今すでに開いています。
人間はただ電光・朝露の夢・幻の間の楽しみぞかし。たといまた栄華・栄耀に耽りて思うさまの事なりというとも、それはただ五十年乃至百年のうちの事なり。
もし只今も無常の風きたりて誘いなば、いかなる病苦にあいてか空しくなりなんや。
まことに死せんときは、予てたのみおきつる妻子も財宝も、わが身には一つも相添うことあるべからず。
されば死出の山路のすえ、三塗の大河をば、唯一人こそ行きなんずれ。
(蓮如上人)
「人生は、ただ一瞬の稲光り、朝露のようにはかないものである。
楽しみといっても夢幻でしかない。
たとえ栄華栄耀を極めて思い通りになっても、せいぜい五十年か百年のことにすぎないではないか。
もし今、無常の風に誘われたならば、ひとたまりもないのである。
いよいよこの世の別れとなれば、かねてから、頼りにしていた妻子も財宝も、何ひとつあて力になるものはない。
みんな剥ぎ取られて、独りでこの世を去らねばならぬのである」
人は、百味のご馳走、金や財、名誉、地位、享楽などの夢を追い、
夢に酔うことを幸福と信じ、必ず、開かなければならない玉手箱を知らない。
活眼を開いて人生を達観しようではありませんか!
★★★



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