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離反する者への慈愛

2009年10月17日(土)  体重67.4kg  体脂肪19.0%


for 雀さん


親鸞聖人から直筆の御本尊やお聖教を拝受していた 

 信楽房 (しんぎょうぼう)

という弟子がありましたが、

法文の解釈について聖人に従わず、故郷の関東へ去っていきました。


いきり立った蓮位房や他の弟子たちが、背恩の信楽房から、正御本尊やお聖教を取り返そうとしたのも無理はありません。

しかし、親鸞聖人は、それを制止され、


 「つくべき縁あれば伴い、離るる縁あれば離るることがあっても、

  決して、あれは我が弟子だとか、他人の弟子だとかの争い、

  仏法者にはあってはなりませぬぞ」



と諭されています。


これは、『口伝鈔』 や 『歎異抄』 第六章 などに出てくる有名なエピソードです。


 「つくべき縁あれば伴い、離るる縁あれば離るる」


とは、離合集散は縁によると教えられた言葉です。

ぼた餅の山があれば、人々は集まるが、食べてしまえば離散してゆくように、

親子、夫婦、兄弟、師弟の関係といえども、一時の結びつきに過ぎません。

それにしても、十年以上も苦楽をともにしてきた深い師弟の縁でさえ、

縁が尽きれば離れるべきことになるのだから、


 「つくべき縁あれば伴い、離るる縁あれば離るることがあっても」


と言い放たれる親鸞聖人のお言葉の重みが伝わってきます。


その悲しみを振り切られ、親鸞聖人は、


 「決して、あれは我が弟子だとか、他人の弟子だとかの争い、

  仏法者にあってはなりませぬぞ」


と厳戒なされています。


『歎異抄』第六章には、


 「専修念仏のともがらの 『わが弟子・ひとの弟子』

  という相論の候らんこと、もってのほかの子細なり。

  親鸞は弟子一人ももたず候」


とあります。

親鸞聖人は、

 「あの人は、私が話したから、私が導いたから仏法を聞き求めるようになった」

という指導者意識を嫌われた方でした。


 「是非しらず

  邪正もわかぬ此身なり

  小慈小悲もなけれども

  名利に人師をこのむなり」

           (親鸞聖人)


  是非も邪正も分からぬ者が、名誉と人師を好み、善果を焦っている。

  何ということか。

  善悪の分かる者なら、その値もあろう。

  だが、何も分かっていない。

  慈悲の心などひとかけらもない。

  そんな者が、人の上に立とうとしている。

  善果来ぬ、とふざけている。


浅ましい相を、無上仏(阿弥陀仏)の光明に照らされた親鸞聖人は、

徹底的に指導者意識を嫌われました。

「謙虚で頭の低い方」 と言われる所以です。

謙虚にした方が、「後々、自分の得だ」 という計算とはまったく違います。



 「親鸞は弟子一人ももたず候」


とは、人師を好む心を自戒されてのお言葉なのです。

もちろん、弟子がいないと言われたのは、歴史的事実を仰有ったものではありません。

親鸞聖人と蓮位房、あるいは聖人と信楽房との間に、明らかな師弟の関係がありました。

また、ほかにも多くのお弟子を親鸞聖人はもっておられました。

ところが、親鸞聖人は、彼らを、「わが弟子」とは思われなかったことを告白しておられます。


では、「わが弟子」ではないなら誰の弟子なのか?

それは、言うまでもなく、阿弥陀如来の弟子 です。


その理由を、懇々とこう説かれています。


 「己の力で救えるのならば、我が弟子と言えよう。

  じゃが、阿弥陀如来のお力によらねば、

  アリ一匹救われないのだ~のぉ。

  それを己の弟子と思うなど言語道断、

  断じてあってはならぬこと・・・・・・」




 「我らが仏縁に恵まれ聞法精進しているのも、

  そして無碍の一道に救い摂られるのも、

  すべてはこれ、阿弥陀如来の本願力の外にはないのだ」




 「それを、己の力で教え導いたなどと思うて、

  我が弟子なんどと言うのは、もっての外」



親鸞聖人は、与えられた御本尊やお聖教を粗末にするのではと案ずる弟子たちの心を察せられ、



 「信楽房が、たとえ路傍に捨てていこうと、

  食べた虫の仏縁にもなるだろう。

  阿弥陀如来のご念力は、

  十方微塵世界に及ばぬところはないのだからなぁ・・・・・・」



と述懐なされています。


『口伝鈔』 には、



 「たとい彼の聖教を山野に棄つというとも、

  その処の有情群類、

  かの聖教に救われて悉くその益を得べし」



と書かれています。

あってはならぬことだが、たとえ聖教が山野や路傍に捨てられたとしても無駄にはならぬ。

それを食べた虫の仏縁になるのだ。

仏法が聞けるのは、人間界だけなので、聖教を食べた虫が、その仏縁で人間に生まれ、

本当の幸福に救われてくれたらよい、との、親鸞聖人の大慈悲心からのお言葉なのです。


だが、親鸞聖人は、信楽房の言動までは許してはおられません。



 「弥陀の大慈悲に救い摂られれば、広大なご恩を知らされ、

  信楽房も、やがて、己の罪の恐ろしさをも、

  自覚することになろうぞ!」



師に背いてよいわけがありません。

『末灯鈔』に、親鸞聖人は、


 「善知識をおろかに思い、

  師をそしる者をば、謗法の者と申すなり」



と言いきっておられます。

謗法罪 (仏教を謗る罪) は、親を殺す罪 (五逆罪) より恐ろしい大罪だと、教えられます。


 「信楽房よ。

  火宅無常の世界は、よろずのこと皆もって、

  空事たわごと、まことはないのじゃ。

  ただ弥陀の本願のみぞまことなのだ。

  いずこの里に行き、いずれの師匠につこうとも、

  これだけは間違ってくれるなよ・・・・・・」



謗法罪の報いを案じられながら、親鸞聖人は、去りゆく信楽房の、幸福を念じられたのです。


弟子 「せめて、お師匠さまの与えられた御本尊やお聖教ぐらい、

      返してゆくのが当然ではありませんか」



親鸞聖人 「いやい、あれは、縁あって親鸞、信楽房に与えたもの。

       いずれの日、いずこの里でか、信楽房の仏縁にもなるだろう。

       取り返すことなどさらさら無用じゃ」



蓮位房 「お師匠さま。そんなにまであんな者のことを・・・・・・」


親鸞聖人 「信楽房が、たとえ路傍に捨てていこうと、食べた虫の仏縁にもなるだろう。

        阿弥陀如来のご念力は、十方微塵世界に及ばぬところはないのだからなぁ・・・・・・」



釈尊は、この娑婆世界にあって、

 ただ阿弥陀仏の本願のみまこと

、と断言なされています。

十方諸仏の本師本仏である阿弥陀仏の本願は、


 「すべての人を、必ず絶対の幸福に救う」


とのお約束であり、この本願によらねば、誰一人助からない。

これこそが、釈尊出世本懐の中の本懐なのです。


 「どこの、どのような師につこうとも、

  阿弥陀仏の本願以外に、救われる教えはないのだ。

  それを忘れてくれるなよ」



この真実を踏まえ、信楽房の仏縁をひたすらに念ぜられる親鸞聖人の、慈悲の御心なのです。





かなり長くなってしまって、すみません。

雀さんのお聞きしたいことの回答になっていないかもしれませんが、

何かしら、伝われば、と思います。



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Comment

No title

今日もとっても深いお話しでした。
ますます親鸞聖人のお人柄にひかれます。
今後のお話しも楽しみにしてます。

yocoさん Re: No title

コメントありがとうございます。

親鸞聖人の魅力に引き込まれてますね。

今後も楽しみにしてください♪

有難うございます

意見が違っても 相手を認めるって 言う意味ではないのでしょうけど親鸞聖人にも 悩みがあったのですね  ・・ 友人に 聖教新聞 おくってくれる友人が いるのです・・
 人 それぞれ たとえは 風土が違う イスラムの人々は どうでしょう??
選ばざる縁てのも あるのかと・・
今 困窮してない 自分が います・・ 
もし・・ 突き詰めたら 裏切る自分もいると 思います

 とりとめもない 話で すいません。

雀さん Re: 有難うございます

コメントありがとうございます。

雀さんのコメントを詠むと、なんだか悩まれている様子ですね。
私には、なんともしがたく、できることは、ただ、親鸞聖人のみ教えをお伝えするだけです。

親鸞聖人の悩みは、
いかにして真実の仏法をお伝えするか、
いかにして阿弥陀仏の本願をお伝えするか、
なんとか知ってほしい、わかってほしい、求めて欲しい、真実の信心を獲得してほしい。
それだけだったのです。

「選ばざる縁」とは、「選べない縁」と思えばいいでしょうか。
おっしゃる通りで、「選べる縁」 と 「選べない縁」 があります。
そして、縁さえくれば、どんな恐ろしいことをするかわからない私。
親鸞聖人も同じです。

 「さるべき業縁の催せば、いかなる振る舞いもすべし」 (歎異抄)

どんなことしでかすかわからない私です。
ゆとりのある時は大丈夫でも、困窮し追い詰められたら、裏切るかもしれない。
その通りだと思います。

そして、人間は、生まれたときから、すでに不平等ですよね。
いつの時代に生まれるか、どの国に生まれるか、男に生まれるか、女に生まれるか、
金持ちの親を持つか、貧乏の家に生まれるか、田舎か都会か、などなど。
自分ではどうしようもないことばかりです。

それらも、実は、過去世における自分自身の種まきが原因だと教えられます。
自因自果だと教えられています。
因果の道理に狂いはありません。

過去のことは、いかんともしようがありません。
現在の自己を徹底的にみて、過去を反省し、善い行いに努めるしかないです。
そして、どんなことしでかすかわからない極重悪人、地獄一定の私ですから、
後生の一大事を心にかけ、阿弥陀仏一仏に一向専念せねばなりません。
信心決定、信心獲得させていただくために、仏法を聞き求めさせていただかねばならない、
と思うばかりです。

Secre

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プロフィール

JJSG

Author: JJSG
男 173cm 血 O型
1972年7月29日生
(42歳)

福岡県出身
愛知県一宮市で育つ
シンガポール居住を経て、
(2007.9~2013.3)
現在は、日本在住
(名古屋近郊)
職業: 平凡なEngineer

スポーツ大好き♪
(野球、バドミントン)
カラオケ大好き♪
(演歌最高!)

父は、鹿児島県出身。
母は、福岡県出身。
共に九州、浄土真宗門徒。

私も、仏教、親鸞聖人の教えを、少しずつ学んでいます。

禁煙 2009年1月4日~
半日断食 2009年7月~
(すっかりサボり気味。。。)
体重:
MAX 81.4kg 理想 63kg

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