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絶対の幸福 阿弥陀仏に救われたら、何がそんなにハッキリする?

2010年2月13日(土)   体重69.0kg  体脂肪20.7%



昨日2010年2月12日(金)の記事のコメントで、ご質問をいただきました。



 絶対の幸福とはどんな幸福か?



以前にも別のお方から同じ質問を受け、回答させていただいたことがあります。

  こちらをクリック → 絶対の幸福とは?


お釈迦様、親鸞聖人は、そのこと一つ教えられましたので、

私のブログの過去記事を追っていただくと、絶対の幸福 という言葉が繰り返し出て来ますので、

過去にさかのぼって、少しずつ読んでいただくと、ご理解の参考になると思います。


どれだけ説明しても、説明しきれませんが、今日は今日で、説明を試みたいと思います。


絶対の幸福とは、阿弥陀仏に救われた心の世界です。

何から救われるのかというと、後生の一大事から救われる、ということです。


阿弥陀仏に救われたら、どこがどのようにハッキリするのか。

救われる前と、救われた後は、どう変わるのか。


阿弥陀仏に救われていない時 (信前といいます) は、次のような心が動いています。


「この世で助かるとはどんなことであろうか」

「この世でハッキリ助かることなどあるのだろうか」

「阿弥陀仏の救いは死んでからのことだろう」

「こんな心が出てもよいのだろうか」

「こんな心を持っている者だからこそ、阿弥陀仏は助けて下されるのだろう」

「しかし、ひょっとして間違っていたら大変だが大丈夫だろうか」

「誰か偉いしっかりした人に確かめてみたい」

「なぜ喜びが続かないのだろうか、これでよいのだろうか」

「もう少し何とかなれそうなものだが」

「求め方が足らんのだろうか」

「聞き方が悪いのではなかろうか」

「方角間違えているのではなかろうか」

「念仏さえ称えておれば、めったなことはなかろう」

「みんなこんなものだろう、オレ一人ではなかろう」

「人間がそんなにハッキリ、スッキリするものではなかろう」

「なぜ、あの人のように喜べんのか。 オレの信心は間違っているのではなかろうか」

「こんな奴を助けて下さるのだと仰有るけれど、どうもサッパリしない」

「これでよいのだ、よいのだと思う下から、本当にそれでよいのかと頭を上げる気持ちの悪い心が出て来る」

「どうなったら良いのだろうか」

「いくら念仏称えても、少しも味がない。 これでよいのだろうか」

「今死んだらと思うと、どうも不安だ」


あげればキリがありませんが、こんなどちらともハッキリしない心が一つあっても、

まだ救われてはいないのです。


これらの心が阿弥陀仏に救われると、微塵に打ち砕かれ、


   「今こそ明らかに知られたり」


と晴れ渡ります。


ひょっとしたら助からんのではなかろうか。

どうも地獄へ堕ちるのではなかろうか。

などの惑いの一切は吹き飛んで、


  金輪際助かり切らんのが私でございました。

  どなた様が助かっても、私一人は地獄行きでございました。


と、 ツユチリ程の疑いもなく、 ハッキリと己の実相が知らされます。 これを 「機の深信」 と言います。


と同時に、不可称、不可説、不可思議、


  「どんな者も、必ず救いとる」


弥陀の誓願まことだったと、ハッキリ知らされ躍り上がります。 これが 「法の深信」 です。


ただのただとはこのことか、私一人の御本願でございました。

私が助からんで誰が助かるか。


この世でこんなにハッキリ救い給う阿弥陀仏とは知らなんだ知らなんだと、

ハッキリし切らない私が、ハッキリしたことがハッキリ知らされて泣くよりほかにないのです。


  堕ちるに間違いなし (機の深信)

  助かるに間違いなし (法の深信)


阿弥陀仏に救われたとき、この2つが一念同時に、ツユチリ程の疑いなくハッキリ知らされます。

これを 「機法二種一具の深信」 といい、略して 「二種深信」 といいます。




阿弥陀仏の救いは、決しておぼろではありません。

今こそ明らかに知られたりと、おどり上がる明らかな体験です。



難しい仏教用語が並んでしまいましたが、少しでも仏教をご理解いただけるご縁になれば、と思います。

また続けて少しずつ、親鸞聖人のみ教えを書いていきますので、読んでいただければ、と思います。





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Comment

はじめまして^^

確かな救いはあるのでしょうか? 謎です^^

たとえ、その時はハッキリ地獄行きだったとしてもそれを知ることで
変わろうと思えるし精進できるから、知らないことよりいい気がします。

No title

確かに私達は不安の中に生きています。

絶対の幸福とは何か・・・悟りをひらくということでしょうか?でもよく分からない。なかなか難しいです(;^_^A

No title

始めまして、こんにちは
いつも楽しく勉強させて戴いています

私にとっての絶対の幸福は・・・・
何時、いかなる時でも「心の平安」あること
と思い、毎日生きております

最近すこしさみしいのは、JJSGさんの、「今日の夕ご飯UP」が
無いことでしょうか・・・・
私もダイエット中&健康食好きなので、あれを見るのが
毎日、楽しみでした。また掲載を再開してくださいね。

mobic(モービック)さん Re: はじめまして^^

コメントありがとうございます♪

> 確かな救いはあるのでしょうか? 謎です^^

おっしゃる通りです。
ハッキリしないことは、謎ですね。

自分自身がその身にならなければ、ハッキリします。
そうでなければ、永遠に謎ですよね。

あそこの店のうどん、とってもおいしいよ。
と言われても、食べなかったら、その味は絶対にわからないのと同じですよね。

親鸞聖人の書かれた『教行信証』は、阿弥陀仏に救われた喜びであふれています。
そして、阿弥陀仏に救われた他力の信心の世界はどのような心か。
つまり、絶対の幸福とは、どのような幸せか。

そして、どうすれば、そのような身になれるのか。
ハッキリと示されています。

あとは、私たちが、その道を進んで、その身になるだけです。
決して簡単な道ではありませんが、ひたすら進むしかありません。

仏法は聴聞に極まる。

この一本道です。
聞いて聞いて聞き抜きなさい。
必ず晴れて満足できる時が来る。
そう教えておられます。

”若不生者の誓いゆえ
 信楽まことにときいたり
 一念慶喜するひとは
 往生必ず定まりぬ”
 (親鸞聖人)


 若不生者の誓い = 阿弥陀仏の本願 (若不生者 不取正覚)

 もし絶対の幸福に生まれさせることができなければ、正覚(仏の覚)を捨てる。
 と命懸けで約束しておられる誓願だから、
 必ず、一念で大安心大満足の絶対の幸福に救われるときが必ずくる。
 生きている今、絶対の幸福に救われた人は、死後は浄土往生が定まる。
 いつ死んでも極楽行き間違いない身になる。


難しいと思いますが、続けて読んでいただけたら、と思います。

また来てくださいねー♪

オバrevさん Re: No title

コメントありがとうございます♪

絶対の幸福は、悟りをひらく、ということではありませんが、
阿弥陀仏に救われた人は、正定聚の位に入る、と教えられています。

覚りには上から下まで全部で52段あります。
一番上の52段目が仏の覚りです。
そのすぐ下の51段目を「等覚」といい、「正定聚の位」といいます。

正定聚とは、正しく仏に入るに定まった人々、ということです。
聚とは、人々ということ。

ですから、私たちが想像を絶する境地です。
この位に入った人は、死後は浄土往生が確定します。
なので、いつ死んでも極楽浄土間違いなし。助かるに間違いなし。
ということです。

絶対の幸福とは、大安心、大満足の境地。
絶対に崩れない幸せ。
これ以上足すも引くもいらない変わらない満足。
といった感じでしょうか。

難しいと思います。
言葉ではとても説明できない境地ですが、言葉で伝えるしかないですから。

続けて読んでいただくと、だんだんわかっていただけるかも知れません。

ねこまんまさん Re: No title

コメントありがとうございます。

いつも読んで下さって、ありがとうございます。
私も、ちょくちょくお邪魔させていただいて、楽しく読ませていただいてます。
(実は、ほぼ毎日お邪魔してます。。。)

> 私にとっての絶対の幸福は・・・・
> 何時、いかなる時でも「心の平安」あること
> と思い、毎日生きております


そう。
「心の平安」を維持したいですよね。
ずっと続けばいい。 そう思いますが、この世は無常。
幸せ、平安はいつまでもつづいてはくれないのが実情。

絶対の幸福は、人それぞれではなく、万人共通唯一のもので、人生窮極の目的です。
阿弥陀仏の本願、阿弥陀仏の救いは、夢幻ではありません。
この世で獲得できる、実在するものです。
親鸞聖人は、そのことひとつ教えておられます。

> 最近すこしさみしいのは、JJSGさんの、「今日の夕ご飯UP」が
> 無いことでしょうか・・・・
> 私もダイエット中&健康食好きなので、あれを見るのが
> 毎日、楽しみでした。また掲載を再開してくださいね。


なんともうれしいコメントでございます。
妻がさぼっているわけではなくて、私が作らなくていい、とお願いしてあります。
というのは、ここんとこ、日本から仕事で長期出張で来ている同僚がおりまして、
外食することが多かったので、作らなくていい、と言ってありました。

外食で刺激物をたくさん食べてたら、痔が出てきたー!(><)

3月からまたJJSG妻のお食事UPは再開すると思います。
お楽しみに~。

No title

わざわざ、記事にしてくださりありがとうございます。

リンク先とこの記事を5回6回と繰り返し読まさせていただきました。
おぼろげながら、分かったような分からなかったようなそんな気持ちです。
と言うか、こんな短時間で分かるようなことではないんでしょうね。

絶対の幸福とは?何か?

これから、折に触れ少しずつ学んでいきたいと思います。

また、お時間のある時にでも書いていただけるとありがたいです。


No title

いつも情報ありがとうございます
絶対の幸福に至る道が、いよいよ聞けそうですね。


>絶対の幸福とは、阿弥陀仏に救われた心の世界です。何から救われるのかというと、後生の一大事から救われる、ということです。

早速質問ですいません。
「後生の一大事」とは、どういうことですか?


>救われる前と、救われた後は、どう変わるのか。
どう変わるのでしょうか?




>弥陀の誓願まことだったと、ハッキリ知らされ躍り上がります。これが「法の深信」です。

「弥陀の誓願」とはなんでしょうか?



>阿弥陀仏の救いは、決しておぼろではありません。

まだあいまいなのですが、釈尊が存命の時には、阿弥陀様は、おられたのでしょうか?

救いに至るには、阿弥陀様と釈尊のどちらが欠けても救いは成されないということでよろしいですか?


>難しい仏教用語が並んでしまいましたが、少しでも仏教をご理解いただけるご縁になれば、と思います。

どうも質問責めにしてすいません。

うちの実家も仏教ですが、冠婚葬祭の為の仏教だと思います。
父は、毎日ご仏前に炊いたばかりのご飯とお水をあげています。子供の頃、後で下げたご飯を、食べさせられました。冷めていてあまりおいしくなかったですが御利益があるとの親心からだったのでしょうね。

ICDIさん Re: No title

コメントありがとうございます。

繰り返し読んで下さって、ありがとうございます。

> おぼろげながら、分かったような分からなかったようなそんな気持ちです。
> と言うか、こんな短時間で分かるようなことではないんでしょうね。


そのお気持ち、わかります。
お釈迦様が45年間、いかに伝えるか、苦心されたことです。
また、親鸞聖人も蓮如上人も同じく、どう伝えれば、どう言えば。。。
と御苦労されました。

これからも続けて書いていきますので、読んで下さると、
だんだんわかってくると思います。

なにかわからないことなどあれば、またいつでもコメント下さいね♪

みやさん Re: No title

コメントありがとうございます。

また、たくさん質問いただいて、ありがとうございます。
大切なことばかりですので、ひとつひとつ丁寧に説明したいと思います。
ここには書き切れませんので、後日、本文のほうで書かせていただきますね。

ただし、今は、絶対の幸福について的を絞って書いています。
その後にみやさんのご質問に対して、書かせていただきますね。
お約束します。

以下、簡単にお答えしておきます。

1)「後生の一大事」とは、どういうことですか?
→ 死後に取り返しのつかない一大事がある、といこと。
  無間地獄に堕ちる一大事がある、ということです。
  苦しみの休まる間がない想像を絶する苦しみの世界です。
  ちょっと前にも人間の実相の記事で書きましたし、以前にも、
  繰り返し書いていますが、大切ですので、また書きますね。

2)救われる前と、救われた後は、どう変わるのか。
→ 今回の記事も、救われる前と後でどう変わるか書きました。
  以前にも、何度も書いたことがあります。
  でも、大切なことなので、また書きますね。

3)「弥陀の誓願」とはなんでしょうか?
→ 阿弥陀仏の本願のことです。 本願とは、誓願、約束ということ。
  阿弥陀仏が誓っておられることです。
  「すべての人を 平生に必ず 絶対の幸福に助ける」
  というお約束をしています。
  これも繰り返し書いていますが、大切ですので、また書きますね。

4)釈尊が存命の時には、阿弥陀様は、おられたのでしょうか?
→ もちろん存在しておられました。
  ただし、地球上ではありません。

5)救いに至るには、阿弥陀様と釈尊のどちらが欠けても救いは成されないということでよろしいですか?
→ 後生の一大事解決して下される力があるのは阿弥陀仏だけです。
  釈尊や他の仏や菩薩や神には、私たちを助ける力はありません。

  しかし、釈尊がおられなければ、仏法を聞くことができませんでした。
  釈尊は、仏法を説かれ、阿弥陀仏に救われる道を説いて導いて下さる善知識です。
  今は、釈尊はおられませんが、釈尊の説かれた仏法をそのまま伝えて下さる善知識(仏教の先生)から、聞かせていただくしかありません。


後日、詳しく書きたいと思います。
Secre

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プロフィール

JJSG

Author: JJSG
男 173cm 血 O型
1972年7月29日生
(42歳)

福岡県出身
愛知県一宮市で育つ
シンガポール居住を経て、
(2007.9~2013.3)
現在は、日本在住
(名古屋近郊)
職業: 平凡なEngineer

スポーツ大好き♪
(野球、バドミントン)
カラオケ大好き♪
(演歌最高!)

父は、鹿児島県出身。
母は、福岡県出身。
共に九州、浄土真宗門徒。

私も、仏教、親鸞聖人の教えを、少しずつ学んでいます。

禁煙 2009年1月4日~
半日断食 2009年7月~
(すっかりサボり気味。。。)
体重:
MAX 81.4kg 理想 63kg

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