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「真知」 と 「信じる」 は全く違う

2011年3月22日(火)    69.2kg  20.4% 



=== 今日の一日一訓 ===


 先祖といえば親です。
 子孫を苦しめる先祖があるはずがない。
 道理に外れた教えを、いくら信じても
 幸せにはなれませんよ。


 照りつける太陽の下、親鸞聖人が足を踏み入れられたのは
 荒れ果てた大地であった。

 飢饉や天災の頻発で荒廃した関東の人々は、
 さまざまな迷信にすがっていた。

 赤子のなきがらを前に、泣き伏す夫婦と信者たちに、

  「よいか皆の者。
   信心が足らないと、このようなことになるのじゃ。
   もっともっと深く信心しなければな。
   大事なことは捧げ物じゃ」


 と説く教祖。
 干上がった田畑で一心に雨請いをする神主や、
 洞窟に人を集め、
 
  「悪い相が出ておる。
   近々この村に、大きな災いが起きる」


 と不安をあおる女占い師らが、
 困窮した人々の弱みに乗じて自説を唱えている。


 平太郎の村でも、教祖が身体に障害を持つ娘と両親に、

  「そなたたちの不幸は先祖の霊のたたりじゃ。
   先祖の供養をおろそかにしているから、
   次々と不幸か来るのじゃ」


 居合わせた平太郎は腑に落ちぬ顔で座を立ち外へ出る。
 誘った権助にこうぶちまけた。

  「先祖のたたりなどあるか。
   納得できねえ」


 そこを通りかかられた親鸞聖人は、訳を聞かれ、

  「ところで、わが子の不幸を願う親はいると思うかね」


 と問いかけられた。

  「そんな親は親じゃねえ」


 即答する平太郎。

  「先祖といえば親です。
   子孫を苦しめる先祖があるはずがない。
   道理に外れた教えをいくら信じても、
   幸せにはなれませんよ」


 得心した平太郎は、親鸞聖人と尊いご縁を結んだのである。

 不安な世相から、現代でも不幸や災難に直面すると、

  「何かのたたりだ」

  「不吉な相が出ている」

 とまことしやかに語られることがよくあります。
 いずれも、なぜ不幸が起き、何を正せば幸せになれるかが
 分らぬところから起きてくる迷いでしょう。

 親鸞聖人は、

  「道理に合わぬことを信じていても幸せになれない」

 と言われていますが、その 「道理」 とは、仏教の根幹である

  「因果の道理」


 のこと。
 時代や国、環境によって変わることのない真理をいいます。

 「因果」 は 「原因」 と 「結果」 のことで、
 すべての結果には必ず原因があり、
 原因なしに結果が現れる結果は万に一つ、億に一つもない、
 ということです。

 これは私たちの幸不幸についての道理で、
 お釈迦さまは、

  「善い原因は善い結果、悪い原因は悪い結果を引き起こす。
   善いのも悪いのも、自分のまいたタネが自分に結果をもたらす」

 とこう教えられています。

  善因善果 悪因悪果 自因自果


 ここで原因とは、私たちの行為であり、結果は、運命のこと。
 (本来、仏教では使わない言葉ですが。)

 自身に起きた不幸は、過去の自分の悪行が生み出したもの。
 幸せな果報は自身の善行から生じるのだ、と明らかに教えられています。

 先祖やキツネ、タヌキ、神などの他者を引っ張り出して、
 それらが運命を作って与えたのだと言っているのは、
 因果の道理という運命の仕組みが分らないからでしょう。

 仏教は、数あるさとりの中でも
 最高の仏のさとりを開かれたお釈迦さまが、

  「私たちの運命は、各人の行いによって生じる」

 という因果の道理に立脚して説かれたもの。

 私たちの思いや都合とは、関係なく成り立つ真理です。

 親鸞聖人は、この道理に合わぬことをどれだけ信じても、
 本当の幸せにはなれませんよ、と教えられています。

 この因果の道理を深く信じて、
 善に向かう人を仏法者といわれるのです。




『正信偈』 親鸞聖人のみ教えを学んでいます。


阿弥陀仏の造られた 「南無阿弥陀仏」 の名号の働きについて、
聞かせていただいております。

よろしければ下の 続きを読む をクリックして、続きを読んで下さいませ。

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 真に知んぬ。 弥勒大士は、等覚の金剛心を窮むるが故に、龍華三会の暁、当に無上覚位を極むべし。 念仏の衆生は、横超の金剛心を窮むるが故に、臨終一念の夕、大般涅槃を超証す。



 ”本当にそうだったなぁ!あの弥勒菩薩と、今、同格になれたのだ。
  まったく弥陀の名号不思議によってのほかはない。
  しかもだ。
  弥勒は五十六億七千万年後でなければ、仏のさとりが得られぬというのに、
  親鸞は、今生終わると同時に浄土へ往って、仏のさとりが得られるのだ。
  こんな不思議な幸せが、どこにあろうか”



ここで親鸞聖人の言われている 「真知 (真に知んぬ)」 と、
一般に使われる 「信じる」 との違いについて、
よく知っていただきたいと思います。

実は、 「信じる」 のは、 「疑い」 があるからです。

  「ん? そりゃどういうことだ???
   『信じる』 とは、 『疑っていない』 ことだろう」


と、常識的には思われるでしょう。

ですが、ちょっと考えてみれば分るように、疑う余地の全くないことなら、
「信じる」 必要はありませんし、 「信じている」 とも言いません。
「知っている」 と言います。

例えば、ひどい火傷をしたことのある人なら、
火は熱いものだと 「知っている」 というでしょう。

火は熱いと 「信じている」 とは言いません。

そのように言う人は、まだ火に触ったことがなく、
想像や憶測で語っている人です。

 「あなたの永遠の愛を、信じているわ」

 「あの子はまだどこかで生きてくれていると、信じている」

 「今度こそ合格、と信じる」


いずれも、ハッキリしない不安をかき消すために、疑いを抑えつけ
信じ込もうとする努力ではないでしょうか。

親鸞聖人の 「真に知んぬ」 の告白は、
それらの 「信じる」 とは全く異なります。

 「南無阿弥陀仏は尊いそうな」


という想像でもなければ、

 「お念仏さえ称えていれば、
  阿弥陀さまは極楽へ連れていってくださるだろう」


と夢みる信仰でもない。

身も心も 「南無阿弥陀仏」 と一体になって、
「正定聚」 の身に救い摂られた親鸞聖人が、

 「まことであった、本当だった、ウソではなかった」


と、本願に露チリほどの疑心もなく晴れ渡った、実体験なのです。


★★★

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テーマ : 生きる
ジャンル : ライフ

Comment

本当に!

全く仰る通り、子供の不幸を望む親など居りません。
それでも、不幸な事があると、それにつけこむ、
変な宗教まがいの人が尋ねてきたりします。
正しい事、正しく無い事をしっかりと見極める力を持っていたいです。

白い月の風さん Re: 本当に!

コメントありがとうございます。

親は、子が想像できないくらい、子の幸せを望んでいます。
私は、幸せなことに、小さい頃からそう感じました。
ですが、それ以上に親は私のことを思っていてくれるのだと思っています。
幸せです。

私などは、弱い心ですから、すぐに引っかかってしまいそうです。
変な宗教が山ほどありますから、気をつけたいですね。
Secre

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いつも応援有難うございます

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プロフィール

JJSG

Author: JJSG
男 173cm 血 O型
1972年7月29日生
(42歳)

福岡県出身
愛知県一宮市で育つ
シンガポール居住を経て、
(2007.9~2013.3)
現在は、日本在住
(名古屋近郊)
職業: 平凡なEngineer

スポーツ大好き♪
(野球、バドミントン)
カラオケ大好き♪
(演歌最高!)

父は、鹿児島県出身。
母は、福岡県出身。
共に九州、浄土真宗門徒。

私も、仏教、親鸞聖人の教えを、少しずつ学んでいます。

禁煙 2009年1月4日~
半日断食 2009年7月~
(すっかりサボり気味。。。)
体重:
MAX 81.4kg 理想 63kg

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